日常をこよなく愛するヨーガ愛好家、MAKIのBLOGへようこそ。

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マタニティ&産後ヨーガ IN 府中

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::満ちた夜。展覧会にて。
スーパームーンのイブ。
友人のみさえちゃんと落ち合って、画家マシマ氏の展覧会へ行ってきました。
5elements.jpg


関係ないけど落ち合ったみさえちゃんの緑のスカアトと私の赤いスカアト。
いいかんじ。久々に会ってもしっくりくるこの感じ。
misaeちゃんと

さて。
画家マシマ氏の存在を知ったのもみさえちゃんからでした。
ある日、みさえちゃんとちょっとしたスーパーなお風呂に行こうと約束していたときに、突然もう一人一緒に行くからと紹介されたのがマシマ氏のパートナーのいっちゃんでした。
いっちゃんとは初対面で裸だったってわけです。まあいいですね、そんなのも。
そこからつながって、マシマ氏のことを知って、この日の展覧会です。
(偶然にも二人は同じ町に住んでいて、わたしがお気に入りのラーメン屋にマシマ氏もよく行っているよという情報をきいて勝手に親近感www)

それまでは、ネット上で作品を拝見するだけだったけど、制作の過程や感じている思いなどをブログやFBに惜しげもなく(?)綴ってくださる方なので、だからこそ「生」を拝見するのを楽しみにしてました。

会場はマンションの一室のこじんまりしたスペース。ドアをあけるとびっくりするほど人々でにぎわっていて、
人と作品のエネルギーがむんむん。
みさえちゃんはすぐに顔見知りの人々と挨拶をかわしていました。あっちこっちで繋がってる人たち。
面白い。

見たかった絵が見られました。
どの絵からも強烈な生命力、とでもいいますか、血の流れ・・・なんだろ、動脈静脈鼓動呼吸・・体温?!などを強く感じて息をのみました。
美しい光も絵から発せられているのがありありと。


見る角度によって絵の色合いが違うから印象も変わってくるという不思議な体験もできてよかった。

おまけに、この日は特別に山本コヲジさんのクリスタルボウル&ゴングの演奏つきで。
これがまた、すんごいものでした。
ゴングが特に。

こうじさん
彼の背後にある、まあるい代物がゴング。見たこともあるし、まぁまぁ聞いたこともある。
それなのに!!!!
すごい体験をさせてもらいました。

目を閉じて聴いていたのですが、コングが鳴り響きはじめるとおへその下あたり、まぁ子宮ですね。そのあたりからザザザザーーーと何かがあふれてきて脳天にむかってすごい勢いで引きずられていきました。
はっきりいって、気持ちがいいよりも、「怖い!!」というほうが大きかった。
もっていかれそうなんです。
どこもつかむことろがなくて、頭から巨大掃除機に吸引されるような(語彙貧困、残念)そんな恐怖感。
だけどそのあとにすぐクリスタルの音がさっともとに戻してくれたという。
なんなんでしょう、すごい体験でした。

あとから、マシマ氏も言っていましたが、今日ここにいる人々、作品、音、それらが作用しあってできたオンリーワンな演奏であったという解説に深く頷いて、今回の展覧会のテーマをあらためて実感したしだい。
5元素。
空・風・火・水・地
とそれぞれをテーマとした作品が順番に披露され、この日は「水」。
最終週は「地」でしまり、グランディングするという流れ。ブラボー!

今日の「水」は羊水だったのかな。クリスタルボールの演奏をききながら、私はずっとお腹から手が離れなかったです。

素晴らしい展覧会。
そして、不思議な人々の縁を感じずにはいられない空間でした。ありがとう。

帰りはみさえちゃんと荻窪の町をふらふら駅に向かいながら、途中にあった炒飯屋でうっかり寄り道。
ビール飲んでお腹いっぱい炒飯食べて、店をでたらスーパームーンイブのスーパームーンが。
金銀の粒子がこぼれて落ちてきそうな、そんな夜。なんてメルヘン。でも現実。
いい夜でした。

そんな夜の記録を書きたくて今。眠くて破裂しそうなほど眠かったのにやっぱり書いてみた。
では、おやすみなさい。

http://yahama.exblog.jp/19878209/(マシマ氏制作日記)
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::選ばれし美しい人
雪の日の翌日、東京都写真美術館へ、バレエダンサー首藤康之のドキュメンタリー映画、【今日と明日の間で】を観にでかけました。公式HPはこちら。

私にとって今年初のちょっとした胸躍るお出かけ。
もちろん首藤康之ファンであるので映画を観にいくだけでも嬉しいのだけれど、上映される場所がこれまたお気に入りの東京都写真美術館。そして同伴者が大好きな友人ウエさんとどんげちゃん。
役者はそろったぞ!ぐらいの勢いで、府中のレッスンの後にいそいそと恵比寿に向かって足を走らせました。

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あぁぁ(崩れる)・・・館内の予告PVを見ただけで胸が詰まる。踊ってたはずの胸が、詰まる!

音楽を担当しているのが、椎名林檎嬢だということで話題になっていたけれど私ずっと歌が入るのかと思っていました。だからちょっと・・・うぅん?という気分だったのだけど、違った。ピアノで彼女独特のエキセントリックな音で、映画を引き立てていました。(しかし相変わらず音には情念がうかがえて、ちょっとこわかった・・・)
いや、ここは敢えて、「ドラマティックに」としておこう。

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彼のドキュメントだから。孤高っぷりを存分に覗いてやろうなんて俗っぽい邪念はすてて、神聖な気持ちでね。

友人のYちゃんが、「首藤さんの踊りってどうしてあんなに神聖な、敬虔な感じがするのかしら」と言っていたのだけど、ほんとにそう思う。神々しいのね。
終始スクリーンから目が離せず、で、途中で何度もコンタクトが乾いて落ちそうになりました。
体中に力がこもってしまって、せっかくヨガで抜いた無駄な力が入りまくりの呼吸も詰めまくりのとんだ状態でしたね。わたし。(となりの二人もきっとそうだったはず・笑)

天才なんだなぁ。選ばれた人なんだなぁ。動くとほんとうに美しいひとだなぁ。年を重ねたけど子供のようなキラキラの瞳がアンバランスだなぁ。
次々と感想のセンテンスが脳内に浮かんでは消え浮かんでは消え・・・・

彼とかかわりの深い人物達がちょこちょこと登場して、口々に彼を「不器用な人」といいました。
オフのエピソードや親しい人たちの声によって作品に没頭してしまう様子がありありと伝わりました。

まだ小学生だった頃に舞台の魅力に吸い寄せられて、もうそこで人生が決まってしまったのだと語っていました。
少年時代に既に舞台で生きることを決めてしまった。首藤さんは「幸運にも僕は早くに自分の場所を見つけてしまったので」というような表現をしていました。確かにそれはとてつもなく幸運なことだと思うけれど、たとえその先に棘が繁っていてもその道しかないということ。
血を流しながらも他の道を行こうとはしないんだろうな、という感じの人。それしかない。
その道のなかで常に答えを探しているということなんだと思いました。

選ばれた。

好きだ、とか、楽しい、とか、もうそういう話じゃなくて、選ばれたということなんだろう。
この人は、羽ばたく翼と背負う十字架、いったいどっちを手に入れるんだろう。

以前読んだ、この作品にも登場するダンサーの中村恩恵さんとの作品『時の庭』の上演時のインタビューがとても印象深くて、ノートに書き留めていたものをひっぱりだしてきて読んでみました。

「有り得ないことを求めると思わぬ希望があったり、美しさだけを求めると嘘があったり…」

その「起こったこと」の実を体験したい、そして観客にも伝わって欲しい。そう言っているのです。

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その先にある「美しいとおもうもの」「正しいと思う真実」を差し出していくために踊っていくというようなことも。

ストイックですね。

ドキュメンタリーの中で、「胸をもっとオープンにしないと」と言ってたけど、映画では最後まであまりオープンにされた感はなかったです。それでいいんだと思いますが。

それから、踊る年齢についても言及していて、以前はとにかく40過ぎて踊るなんて!とおっしゃってましたが今はもっともっと踊りたい(踊れる)という思いがひしひしと伝わってきましたね。
またその逆に、若い踊り、若い熱に対する憧憬の思いも子供みたいな素直さで語ってました(こっちが照れるくらいにね)

私の友人ダンサーは60歳を超えてなお現役で踊り続けていますが、彼に以前長く続けていくこと老いるカラダの現実にモチベーションが下がることはないのかとずけずけ質問したことがありました。
そのとき彼が「自分も懸念していたけれど、ところがどっこい、長く続けてきたせいでもっともっとやりたいことが次々に現れて、今の自分だからできることもでてきて、下がるどころじゃない」と言っていたのです。
年齢について語る首藤さんをみていて、この友人ダンサーの言葉を思い出していました。


もう一度、体の力を抜いて観てみたい(笑)
ベジャールとのシーンももっとたくさん見たかったです。

感想総括。
たとえヨウジヤマモトを着ていたとしても「動いて」しまえばもう「なんでもいい!」って思うくらいに、動いて美しい人でした。
そしてきっと踊り始めた少年の頃の純粋さを今もこちらが照れてしまうほど隠し持ってる。なんて大人なんでしょう。

息を呑む。心掴まれる。時を忘れる。

そんな時間をありがとう。

そうだ、最後にこれだけ書いておきます。

today1.jpg
「今日、今この瞬間にすべての意識を集中して
  夢中になってうちこんでいれば、明日の心配は何も要らない。」


いま、ここ。

って・・・・首藤さん、あなたヨギですか。
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::踊り手たちの夜
ヒンズー教の叙事詩、ラーマーヤナに、「猿になった兄弟 スパリとスグリウォ」というお話があります。
この物語をバリ舞踊とインド舞踊のダンスコラボで語られた、昨夜の公演に出かけてきました!

バリ舞踊のナヴィさんとは以前ブログでちょろっとやりとりさせていただいて、
存じ上げていたのですが、まさかまゆみ先生と一緒に踊られるなんて!(ていうか、お二人が繋がっていたなんて)とびっくり。

そしてなにより、オリッシーを踊るまゆみ先生を観られるってことに胸がわくわく。
何をおいても出かけねばと意気込んで参りました。

股関節変形症のため歩くことすらままならなかったまゆみ先生が、一年前には「座りながら踊る」ことをやりはじめ、どんどん踊りの場に戻っていく姿は遠巻きながら見ていたものの、まさかここまで快方に向かっていたとは。
その奇跡のような姿と、ダンサーとしての孤高の存在感に胸がいっぱい。涙がでてしょうがなかったです。

生きたい勢いや治りたい勢いに体中のいろんなものが快方に向かうっていう、そうやすやすと手に入るものでは
ないけれど、たしかに自然治癒力はある。
最後、すくっと立ち上がり舞っていた姿を目の当たりにして、
一人熱く、「クララがたったぁぁ!!」と叫ぶハイジの心境に。

そして、その反面、バックグラウンドとはまったく切り離して鑑賞させていただいたステージはとても温かく美しくエネルギーをもったものでした。
楽しい!踊りってほんと楽しい!!

まゆみ先生のお弟子さんである友人のさおりちゃんも、彼女らしいとても愛らしいダンスを踊ってた。
ナビィさんはじめ、他の出演者のかたも、「あー踊りがすきなんだなぁ」とひしひしと伝わってくる感じ。
いいね!

バリ舞踊とインド舞踊は似て非なるもの。当たり前だけど、「にてるなぁ」と思う点と「違うなぁ」と思う点が半々にあってそれがまた面白かったですね。
始まりはインドなんですよね。たどってたどってたどればフラメンコもインド・・・。興味深いです。

最後、MOKSHAというダンスをまゆみ先生が踊りました。
ほんとに美しかった。MOKSHA(解放)というタイトルがぴったりの、解き放たれるような澄み切った空気を纏っての舞はため息でるほど美しかったです。
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でっかい生徒ですみません(笑)
あ、私はダンスじゃなくてヨガの生徒です。

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::輝くその瞬間
秋の銀座をひとりあるいていました。

丁度一年前も同じように同じ目的をもって歩いていたことを思い出しました。
立石有美の個展」へ。

一年たった作家の作品たちはどんなのだろうとわくわく。
単純に、友人に久しぶりに会えるわくわく。
もう、出会ってから20年以上がたつんだなぁなんて思いながら。

画廊の入り口に、通りに面して飾ってある、“ハナ”という作品がありました。

一見植物をモチーフにしているのかな?と思えます。
でも彼女は言いました。

「そのものがパッと輝くその瞬間を“ハナ”と呼ぶことにしたんだよ」

と。

誰にでも何にでもある輝く瞬間。
だから、花でも華でもはなでもなく、もちろん鼻でもなくて、“ハナ”なんだって。
記憶の中にほんとのお花が咲いているイメージも残ってはいるけどね!とも言ってたな。

輝く瞬間は一度きりじゃなく何度も何度もその瞬間はくるんだって。

パッと咲くような輝くような刹那だね。

すごく嬉しくなる話じゃありませんか。

私はその刹那がいくつも繋がってその人らしい輝きができあがるんだと思っているのだよ。

他にも、この形はなに?これは何からイメージしたの?とうるさく聞くわたしに丁寧に答えてくれた彼女からは、やっぱりすごい力強さと、アーティストの頑固さ(!)と、子供のような感性がうかがえて、
ずっと私の胸はわくわくが続いていました。
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やっぱり秋は美味しいご飯と芸術ですな。

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::VIVA国芳!(歌川国芳展+後期+)
本日は、新緑の午後を満喫がてらJGとふたり、美術館デイト。
公園を散歩しながら、ゆっくり歩く。

前日とても傷ついた出来事があり、かなーり落ち込んでいたわたくし。
散歩しながらも泣きそうになってしまった。
あー!緑が目にしみる!!とかいいながらごまかす。へぼい。

国吉

さて、到着したのは、現在開催中の歌川国芳展でごぢゃる。
くわしくはこちら。

※歌川国芳・・・江戸時代の最後期、19世紀の江戸の町に登場して、奇抜なアイディアとユーモアで人々を心の底から喜ばせた浮世絵師、歌川国芳(くによし)(1797年~1861年)(HPより抜粋)


【奇と笑いの木版画】

奇と笑いだなんて、大好物!しかも浮世絵、あの国芳!
と気持ちは勢いづいていたくせに卒業入学のバタバタで<前期>を見逃してしまったので、今度こそはと<後期>に行ってきました。
前期と後期をあわせた作品数は約230点だそうです。さすがに春画はありませんでしたが、見ていて思わず笑みがこぼれてしまう猫をはじめとする動物たち、ぐっと惹き付けられる妖怪や水滸伝のヒーローたち、普通の風景画なのに見ていると吸い込まれてしまいそうな江戸の風景・・・
「楽しい!!」と何度も言ってしまいましたよ。

中には今の漫画の原点になっているような、吹き出しつきの絵もあり、そこに描かれている町民の顔はなんとなく長谷川町子風味。サザエさんの第一巻を思い出すようなものでした。

私は前世一度は江戸時代に生きていたんじゃないかと思うくらいに、江戸好きです。
町の風景を見るだけで「なんなの!!この郷愁は!!!」と叫びだしたいくらいに。

わたしのお気に入りをご紹介しましょう。
猫シリーズでもこの3美人猫の絵には目が釘付けでしたね。
3neko.jpg
とくに右側のうらぶれた様子で三味線かかえてる猫ねぇさん。いいねー。
JGが「あ!かつおぶしつってある!!」と発見して大笑い。ねぇさんの頭上に鰹節です。
こういった細部に潜んでる可笑しさを探し出すのがまた面白い。
細かい版画の隅々まで目を皿のようにして眺めてきました。

それから、この犬も眠る時刻(右下)の吉原へ続く道。月が美しい。
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そして、真夏の暑さが伝わってくるような、江戸の町の風景。空が素晴らしい。(もちろん原画はもっと素晴らしい色味です)吸い込まれそうです。
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この2枚はとくに、印象深く、引き返してずっと眺めていました。
最近は美術展に行ってもハガキを買うくらいなんですが、今回は図録を購入!
読み応えあり。昨日から何度も開いています。

あー。江戸らぶ!なんでかわからないけど私の心を掴んで離しません。
しかも大好きな“アイディア”と“ユーモア”が溢れているこんな世界。たまりません。

<後期>は5月9日まで開催されています。
連休はきっととても混んでいるとは思いますが、公園の緑も気持ちがいいし、お散歩も込みで足を運ばれたらいかがでしょう?

私みたいな江戸好きさんにはたまらないと思いますよ。

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::立石有美という画家
個展に行った。
銀座の画廊に絵を見に行くなんて、何年ぶりだろうか。
父の展覧会にも最近顔を出さなくなってしまってた。いかんなー。
と思いながら、雨上がりの銀座をひとり歩く。

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立石有美ちゃんは文化学院時代の友人である。
彼女がある日突然、当時文学部であったにもかかわらず、「わたし、絵を描いていくことにする」と宣言した。
ぽよんとした色白のお顔がギラギラ(キラキラじゃないよ、ギラギラ)していたことを今でもよく覚えている。
人は何かをみつけると、こんな顔になるんだ・・・と漠然と思っていたから。


20年もの時が流れ、今回の個展で作品を目にしたとき、その一見まろやかな色合いとはうらはらに、
ものすごい力強さを感じて喉がちょっとつまった。
作品の説明をしてもらい描いた背景を伺ったら今度は目の奥がツーンとした。
恥ずかしいから黙ってたけど。

大きく掴みきれないものをギュッと凝縮して小さな作品に。
小さくて目を凝らすようなものをバーンと大きく広がりのある作品に。

数点の作品にいちいちハッとさせられる。

話をしていて嬉しかったのが、わたしがちかごろ深く考えている「変化する」ということについて、
同じように彼女が語っていたこと。作品を描くときに頭にあるのは留まっていないものへの思いだと
いうところ。
変化。
物事はどんどん変わってゆく。

実は、「安定」や「バランス」なんてなくって、止まるのは「死」を意味するんだと。
生きているかぎり変化して移ろってゆくものだということ。

このことを、私はYOGAを通して、また自分がボディワークとともに過ごしてきて強く感じるようになった。
その気持ちが、ちょっと立石画伯の作品に共鳴したようなね。そんな気持ちだった。
勝手な共鳴で、彼女は「いやいや、そういうのとはちがうんだよ」というかもしれないけどね。



+++


『立石有美サイト』http://www.terra.dti.ne.jp/~y-tate/#

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::I want to break free
1992年11日30日 

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艶っぽい魅力にやられると私の指先はジンジンする。
なんで一番初めに指先が反応するんだろうか・・・。
でも、これはちょっとしたバロメーターになっていて、ダイレクトな性的興奮で「あぁ繋がりたい!」とか思うのとはちょっとちがって、身体よりも脳みそが興奮したときにでる症状みたいなのだ。
身近な人でも遠くの人でもステージの人でも触れる人でもともかくこの刺激をくれる人を、
私は贔屓している。うん。

昔、その姿をみるたびにジーンと指先がしびれる人がいた。
いつか生のステージで彼の踊る姿をみるんだと焦がれていて、あと一歩でとうとう叶わなかった。
フィルムでみる彼の姿でも充分にときめき、テープが伸びて画像が歪むほど観たシーンもある。
遠い地ローザンヌで彼が死んでから、今日でもう16年。
当時新聞の訃報欄には小さく小さく写真入りでのったけれど病名は書いていなかった。
死因はエイズだった。
当時のわたしはその病気に対する知識もほんの一つまみの偏ったものしかなく、
たぶん世間的にも自分達にはあまり関係のない特別な病だと思われていて、
「そっか・・・」としか反応できず、それよりも、居なくなってしまった喪失感にぽっとりと肩を落としていたのだった。

丁度一年前、1991年11月24日にQUEENのフレディマーニュリーがエイズで亡くなった。
※「ボヘミアン・ラプソディー」の印税は、イギリスのHIV基金に寄付されるそうだ

ドンとフレディへのオマージュとしてベジャールが発表した「バレエフォーライフ」。
バレエとQUEEN?!とやっぱり当時のおぼこい私は驚愕したのだけれど、ひとたび目にしたスクリーンのドンの姿に、震えがとまらなかった。
張り上げられるフレディの声に搾り出すような喜怒哀楽を湛えたドンの身体。その視線。

命日に久々に観る。そして久々にまた、指先がジンジンした。


+++

今日はライブとトークを通じてエイズの予防啓発を呼びかけるレッドリボンキャンペーンライブというのがあった。
私のご贔屓の君が出るのでちょっと行きたかったんだけど会場には行けず。
行かれた若い子ちゃんたちがどんどんHIVについて考えるきっかけになればいい。おばちゃんは身を引くわ!(←たんにチケット落選しただけ)
こういうイベントは邪な気持ちで(アーティスト目当てで)行くのはどうなんだろうかと悩むけど、知るきっかけになればいいと思う。

まず、知ろう。

はじめての妊娠のときに、いろいろ検査をして、その中にHIVの検査もありちょっと驚いた。そのくらい、認識知識不足だった。
(ほんとに自分には関係ないと思ってた恥ずかしい過去)
そして知識が乏しいもんだから、必要以上に不安になったりもして。いや、ほんと結果を見るときは怖かった。

HIV(エイズウイルス)は握手やトイレ、お風呂など通常の生活での感染はありません。
汗、涙、唾液、尿、便などの体液の接触による感染の可能性はありません。

それすら知らなかった当時の自分を思い出しながら、書いている。
正しい知識と、そして、検査を!

レッドリボンキャンペーン2008




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::ぶったまげ!空気圧縮ライブ。
フラメンコ舞踊家、山室弘美さんの「フラメンコ人生20周年記念ソロリサイタル」に行ってきた。
早々にチケットを申し込んで、ずっと楽しみにしていた。

HY

一人、久々に新宿エル・フラメンコへ。
フラメンコのステージを見るのは・・・5年ぶりぐらい?!!!しかも、弘美さんの踊りを見るのは10年ぶりなのだ。

昔こういうフラメンコ公演に足を運ぶとあちらこちらに知り合いがいた。
が、今日は誰一人知った顔がいない。なんだかそれがかえって心地よく、ワインを片手に席に着く。
事前にチラシをみて驚いたんだけど、バイレ(踊り)を支えるギター、カンテ(唄)、パルマ(手拍子)の面子が半端じゃなく豪華。
弘美さんが「男前をそろえました」って言ってたけど(しかも7人も!笑)、舞台に並んだだけで圧巻。
(ギター:鈴木尚さん、松村哲志さん、カンテ:石塚隆充さん、有田圭輔さん、阿部真さん、パルマ:伊集院史朗さん、稲田進さん)

10年ぶりにみた彼女の踊りは、その持ち味はぜんぜん変わっていなくって、何倍も何十倍もレベルアップしたすばらしいものだった。粋でセンスがよくて切れがあってなにがやりたいのかはっきり伝わる。とにかく「ぶったまげ」た。

で、今日の公演で何がうれしかったかって言うと、ソロリサイタルにありがちな踊り+バックみたいな感じじゃなくてちゃんとギターもカンテも心から堪能できたこと。私はどんどん鼻息が荒くなってフガフガしちゃった。

めちゃくちゃ熱いグルーブでほんとにかっこよかった。あのバランスのよさは天晴れだ。
昔、フラメンコは踊りメインでギターと唄は添え物みたいな風にみられがちだけど、そうではない。どれも同じようにフラメンコなのだと頭ではわかっていてもそれを実感することはあまりなかった。

今日のステージはまさにそれ(踊り、唄、ギターの絶妙なバランス)が目の前にあって、心からフラメンコを楽しめた感じだった。
でもそういえば、以前にみた初リサイタルのときもそれぞれの相乗効果でぐんぐんと熱があがったステージだったように思う。
そういう風に持っていけるところがまた、弘美さんの魅力であり実力なんだろうな。

20年。ちょうど私もフラメンコと出会って20年(いっしょにしてごめんなさい)。便乗して自分のあれやこれやも思い出したりして、ちょっとひたってみたりして。
今だからこそまっさらな気持ちでフラメンコを楽しむことができたんだろうと思う。

「ひとつの道を極める」ってほんとにすごい。強くて美しい。そんな弘美さんの姿を目の当たりにしてすっごくいい気持ちで帰ってきた。
ほんとに楽しかった~!(最後の挨拶もよかった~!)

余談だけれど、私が身体を壊していろんな治療を受けているときに、何度か「フラメンコのような息をつめたり、力を入れたりする踊りは適さない」とか、「ゆっくりゆったり息をするような、開放してゆく動きをしたほうがいいですよ、フラなんてどうです?」とか、「踊りじゃないけどヨガなんてぴったりですよ」とか言われたことがある。
それが頭にあって、ずっとそれにそって自分の道を歩いてきたように思うんだけど(ヨガ講師までするに至ったんだけど)、
今回、前売り券と一緒におくられてきたチラシをみて思わず「ブハッ」っと声を出してしまった。

「空気圧縮」

うわぁ。まさにだ。まさに、これこそフラメンコじゃないか!!これが・・・・好きだったんだよなぁ・・・・と、なんだか一人胸を熱くしたのだった。

私はもう「圧縮」することはないだろうけど、この匂い、この空気、この気合(!)が大好きだ。
この道を一歩一歩真摯に歩み続ける人からこれからも目が離せないと思う。

素敵なステージをありがとう!

そうそう、カンテの一人に、Rockamencoの有田さんがいて、私は今日はじめて生声を聞くことができた。
やっぱり今度ライブに行こう!フラメンコとロックの融合・・・どんどん新しい風が吹いているのね。
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::他者の人生の中での一瞬

人は流れ行く時間を止めようとする。おろかなことだ。
一瞬は、時間を豊かにし、もう一つの瞬間を生み出すためにのみ存在する。
私も一瞬でしかない。
他者の人生の中での一瞬・・・


モーリス・ベジャール自伝より抜粋」



ジョンとベジャール②


二十世紀バレエ団二十五周年ガラ公演の特集号だっただろうか。
雑誌のこの二人のショットが大好きで、一人暮らしをしていた三軒茶屋のアパートにも、
結婚して住んだ明大前の部屋の壁にも、家族が増えて移り住んだマンションにも、
そして、今住んでいるこの家の壁にも、この写真が額縁に入って飾られている。

ここにもかいたけれど、約20年前に出会ったベジャールの作品とそれを体現するダンサー、ジョルジュ・ドン。
ドンの日本公演はどうしても抜けられないリハーサルがあって、泣く泣く諦めた。
初めてベジャールの作品を生で見たのはボレロ。
その時ドンは既に他界しており、シルヴィ・ギエムが踊っていた。前から3列目の席で、かぶりつきで観たのだった。

ベジャールの自伝はバイブルのようになっていて、あちこちに蛍光ペンの線が走っている。
若かったので、今思うと、「インスパイアされた」なんてしゃれた言葉よりも、「かぶれてた」という表現のほうが当たってる。以後ずっとかぶれっぱなし。
ジョンとベジャール①

作品を目にするとき、今でも心の震えは変わらない。
あの日あの時、
ドンのライオンのような雄々しく神々しい肉体と、ベジャールの舞踊という名の言語にノックアウトされた私はすこぶる幸せだと思っている。
男性ダンサーの肉体の美しさを知らしめてくれてありがとう。

モーリス・ベジャール。「最高に純粋なもの」をありがとう。
またどこかで。


【ボレロ: モーリス・ベジャール / ジョルジュ・ドン】
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::モディリアーニとジャンヌ
はぐはぐさんと一緒に、Bunkamuraでやっている【モディリアーニと妻ジャンヌの物語展】に行ってきた。

「運命のアーティストカップル」ってコピーがなんかいけてないよ、とか煩いこといいながら久々の美術館へ足を踏み入れた。

入っていきなり、三白眼のジャンヌににらみつけられびっくりする。
美人だけどとにかく三白眼なのだよ。ぎゅいんと惹きつけられてしまう。おかげでうっかり男前のモディリアーニの写真を素通りしてしまった。
[#IMAGE|c0053201_202558100.jpg|200705/18/01/|mid|138|186#]
この展覧会は、モディリアーニの最後の恋人(妻)との出会いのあたりから、モディリアーニの死、そしてジャンヌの後追い自殺までを作品で綴った物語展である。

2人の作品が交互に展示されているのだが、私はジャンヌの油絵作品が力強くて好きだった。
最後の方で、モディリアーニのような目玉なしの人物を描いているので、こんな天才と共に暮らしながら自身も絵を描き続けること、その影響力と抗う葛藤と・・・・と想像するとぐったりしてしまった。

ジャンヌってとても美しい人。育ちもよくて、両親や兄に愛されて育った女の子だ。[#IMAGE|c0053201_20325115.jpg|200705/18/01/|mid|320|240#]

でも、左が彼女が描いた自分の肖像画。右がモディリアーニが描いたジャンヌの肖像画。
同一人物なのに、片や腹に何か秘めたような意味ありげな姿。片や聖母やヴィーナスを思わせるまぶしいばかりの美しい女性。
このように、二人が同じモデルを描いた作品も興味深かったし、人物しか描かなかったモディリアーニの絵の風景をジャンヌが描いた共同作品なども展示されていて、見ごたえがある。
展示も二人のたどった軌跡を追うように進んでいき、最後闘病中のモディリアーニの素描、ジャンヌが描いた自分の自殺場面の絵に続き、ジャンヌが飛び降りたマンションの写真と彼女の遺髪の展示で締めくくられていた。

平日の午前中だったので、比較的空いていたため、最後まで見た後もう一度きになる絵の前に立つ。
それは、スーチンをモデルにした絵。
どうにもこうにも気になる風貌のスーチン。ジャンヌが描いたスーチンも、モディリアーニが描いたスーチンも妙に気になるのだよ!(好みとかではない)
「スーチンがさぁ・・・」とつぶやくと、はぐはぐさんも、「あ!気になるよね、この人!」って(笑)
そしてこそこそ声で「この絵の画商、口ひげがなんかいやらしいね」とか言い合いながら、悲劇と愛の作品群のなかにも笑いをみつけてちょっと息継ぎ。(ん?)

今にも命の火が消えそうなモディリアーニの側でデッサンしながら彼をみつめるジャンヌを思うとたまらないけれど、やっぱり子供たちと一緒に生きていってほしかったな。と思う。
後追いの死は美談ではない。
死んでなかったら、どんな絵を描き続けたのだろう・・・・・。
もったいないなぁ・・・。

+++

帰りお茶を飲んでいたら、なんと巻上公一さんがお仲間とお店に入ってきた。
わーい、ラッキー。
こぼれてくる話し声をきいて、「やっぱいい声だねー」とかってに盛り上がった私たちだった。

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::思い出のニケ
高校生の頃、朝の通学時に、バス停2つの距離を歩かずにバスに乗った私に対して、
「信じられないな、もったいない」とか、「いったい何考えてるの?そのくらい歩けよ」とか、
いきなり怒って言ってきた男の子が居た。

で、その子は次の日の朝から私の家に自転車で寄るようになった。
「後ろに乗れ」と。
何で私がバスに乗るとあなたが怒るのだ。と理不尽な気持ちもあり、
何でこの人が自転車通学に変わらなくちゃならないのか。という解せない気持ちもあり、
後ろに乗せてもらいながらも私はすごく不機嫌な顔をしていたと思う。(ここで何も気づかないうぶで鈍感なだめ女子高生であった私)

今考えるとずいぶん甘しょっぱい思い出じゃないか。

その男の子が、ある日突然私に一枚の写真をくれたのだ。
写真というか、B4サイズの大き目のものだったのだけど、そこの写っていたのは
サモトラケのニケだった。

「素晴らしいだろ?すごいよなぁ~」「なんて美しいんだろう。はぁ、ため息でちゃうよな~」と
ひとりで大絶賛しながら「はい。これ、やるよ。」と、私にくれたのだ。

先日実家改装につき行く場所がなくなったため母が送ってきた私の“過去の荷物”の中にこの「サモトラケのニケ」が入っていた。


ルーヴル美術館にあると言っていた。
これをもらった10年後にパリに行ったけれど、とても短期間では見切れないと思い、敢えてルーブルには足を運ばなかった。(いつかこのためだけに訪れようと思ったのだ)
以来、すっかり私の頭の中の引出しにしまいこまれたまま、今の今まで取り出されることはなかった。

それが・・・だ。
また出会ってしまったのだ。ニケに。

巨大な迷宮、世界最大の美術館であるルーヴルに初めて撮影隊が入ってドキュメンタリーフィルムが撮影された、
ニコラ・フィリベール監督の映画【パリ*ルーヴル美術館の秘密】の中で再会してしまった。

ちらりと映っただけだったけど、「あっ!」と小さく声をあげてしまった。
救急隊員が階段を駆け上っているシーンの傍らに、サモトラケのニケが しらっと佇んでいた。

この映画の感想は明日にでも書こうと思う。あまりにも素晴らしい映画だったので、もう一回観にいこうと思っている。

さて。
高校生の私にニケを教えてくれた男の子は、今ヨーロッパでご活躍中。ドイツだかスイスだかの美女を奥様にしたとの噂。元気で居るのだろうか。
もうすっかり音信不通なのだけど。


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::ベジャールとドン
かなり久しぶりに【BEJART  IMPRESSIONS】(モーリス・ベジャール作品集)のビデオを観た。

ダイスキなダイスキなダイダイダアーイスキな(しつこい)、JORGE DONN(ジョルジュ・ドン)の踊りが観たくなったのだ。
もうビデオテープが伸びきってしまうほど何度もみたテープをひっぱりだして、正座してじっと観ていた。

冒頭に若きベジャールが語るのだ。

『言葉はあざむき、心は裏切るが、肉体は常に真実を語る。』

この言葉に二十歳そこそこの私はどれだけ感銘をうけたことか。今でも鳥肌がたつほどだ。

この作品集は私が生まれた頃の作品から70年代、80年代の作品が、当時のエピソードやダンサーのインタビューなどで
紹介されコラージュのように次々と展開する。

ベジャール黄金期を代表するダンサー、ジョルジュ・ドン。
映画「愛と哀しみのボレロ」でのボレロで有名になった。
ライオンのような容姿。けっしてプリンスチャーミングではない身体。
官能的でオーラがあって、身体のすみからすみまで語る、でも押し付けがましくなくて神々しい動き。

私がこのビデオのなかで一番好きなシーンが、稽古場での振り付けのシーン。
ベジャールとドンの二人だけしか居ない稽古場に静かに
マーラーの交響曲第5番第4楽章【アダージェット】が流れ、
指の動きを丁寧に振付けるシーン。顔の表情を振り移すシーン。
振付師の精神を、藝術を、すぐ側で体現するダンサー。
もう、ため息しかでない。
ほんとうに素晴らしい。

やっぱり今日も口をぽっかり開け、呆けた顔で画面の前で正座している私が居る。
今の私の身体に【アダージェット】が優しく溶け込んで、

「あ。『ヴェニスに死す』もみたくなっちゃった・・・・」と、心の中でつぶやくのであった。

あぁ。なんて贅沢な時間・・・。うっとり。
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