日常をこよなく愛するヨーガ愛好家、MAKIのBLOGへようこそ。

今日も明日へ向かおう。


マタニティ&産後ヨーガ IN 府中

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::極寒の日のギフト
ママヨガクラスがインフルエンザ蔓延のため急遽前日に中止になり、
思いがけずオフになったので、本能の赴くままに一日を過ごしてみた。
朝起きてふと頭に浮かんだ人に会いに行く。雨の中、初めていく場所。
出会ったのはインド。さしで話したことは一度もない人。
初めての町をふらふらと歩く。楽しい。商店街をてくてく。おいしそうなお店が軒を連ね、
ここもいいな、あそこもいいな、と一人“孤独のグルメ”気取り。
雨の中きょろきょろ気を取られて歩いていたので、目的地とは全く逆方向に歩いていたというオチ。
やっと会えたその人は、24時間前には考えてもいなかったというのに、今目の前に居てちゃんと雨の中外に出て待っていてくれてた。

自分のためにじっくり練習したくて、日々の練習のおさらいをしたくて、いや違う、ただ単に
ヨガを楽しみたくて、やってきた。おかげさまで久々にシャバーサナで寝落ちるほどじっくり取り組めて
何度もあぁヨガが好きだって実感したのも嬉しかった。

話は変わるが、先日自分の居場所ということについて「大好きな音楽の中が一番落ち着く」と表現した友達がいて、
凄くわかるなと思った。
私は好きなブーツで好きな服でストール巻いてリュックに好きな本となんでも手帳、ポケットに音楽。
どこへ行ってもそれがいいって思った。子供の学校の役員とか仕事とかご近所づきあいとかどっぷりと地域密着で生活しているにも関わらず、
あまり土地に執着がない。育った横浜も大好きだけど私にとって絶対の場所でもない。
つまり、心地よいものは自分の中にある感覚。いつも。
身軽なのが一番いい。

うまく言えないけど、今日はそんな一日だった。心が自由な日。雨とか寒さとか距離とか関係なく、行きたかったから行く。
そして楽しいおしゃべりと美味しいご飯。偶然にもその人のご家族が私の家の目と鼻の先に住んでいらっしゃることが
判明したのも今日を楽しくしたエッセンスの一つ。
隙間が空くと風通しがよくなるから滞っていたものがさらさらと流れてゆくのだ。だからみんな断捨離するんでしょ?

焼き小籠包美味しかった。活気のある現役商店街が楽しかった。楽しいおしゃべりをありがとう。
明日は制服を着て9時から5時まで働く。決められたことをきちんとやる努力をする。それでも私は居場所があって自由で快適。
極寒の雨の日の一日のおかげさま。
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::生きてる実感、奥底のギフト。
クラスの運びがまったく予測つかないのは、赤ちゃん連れクラスと知的障害者支援施設のクラス。
いっぱい引き出し用意して臨機応変に最良のものを取り出すことにいっぱいいっぱいになる。
だけど、なにかが届きキラキラの笑顔や思いもよらない嬉しい反応は私をどんどん元気にする。

先日のシニアクラスでは、一月以上入院されていて心も塞ぎがちだった男性が後半30分は笑顔が絶えなかった。
後日奥様から、「久しぶりに主人のあんな笑顔をみました。」とご丁寧なお電話をいただいた。

私は学んだことしか伝えられないし、できることは限られているけれど、こんなとき、生きている実感が湧いてきてほんとに満たされる。
外からの評価じゃないよ。こんなふうに書くとそう思われるかもしれないけれど。

自分の中の深いところにあるギフトに気づいてひとり自家発電装置みたいに発電するような喜びがじわじわ湧くということ。
だから感謝する。私に縁あって関わってくれる皆さんに感謝する。

そして常にその時の最良で応じる修行を積まないとと切に思う。
他者と関わることで選び取られるそのときの最良。私が思いきり私である真剣勝負。

ふと、今日思った。
私の日常は私をどんどん鍛えてくれているなと。
日々の高齢者との生活だったり、思春期の少年たちのとやりとりであったり、伴侶との愛のはぐくみであったり。
ばあさんやじいさんとすったもんだの日々は案外わたしの奥底にあるギフトをどんどん鍛えてくれるみたいだ!
たしかに私が日々一番「あー私ヨガやってんなー」と自分で自分のことを薄目開いて思う時って、アサナの練習のときじゃなくて、義父母とのあれこれに奮闘している時だもの(笑)

と、話はそれたけど、とにかく今、不思議と「生きてる実感」満々なんだ。
「歓喜の涙にむせぶ」感覚は泡のように消えるけど、そこに至る道のりはどうだろう。気が遠くなるほどの距離と時間。
だけど続けて続けて転んで泣いて自信失くして、また前に進んで。すごい実感。超リアル!
生きている実感は内側から湧いてくるものだから。
私の奥にあるギフト、もっともっと磨こう。もっともっと輝け。でもしかし、その道のりがね。実感なんだよ、そうだよね。






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::言葉の後悔、その先には愛の海。
もう10年前のこと。耳が聴こえなくなって入院していた時、
あとから隣のベッドに女子大生が入ってきた。就活中に難聴になってしまったと言っていた。
怖かったし絶望したんじゃないかと思う。
彼女に
「あなたはいいじゃないですか、もう結婚してお子さんもいるんだから!今から聞こえなくなったって大して問題ないでしょ?あたしは全てこれからなのに!」と言われたことをたまに思い出す。

私は憤慨したし傷ついたけど、「うん、そうだね。」と静かにいえるくらいは大人だったので聞き流した。
ただ、こうして時折思い出すということは私の中に小さく小骨みたいに刺さっているということだ。流せてなんていなかった。

結局彼女は完治して私よりも先に退院していった。最後は笑顔だった。
私も同じように完治できていたらこんなこと忘れてしまっていたかもしれない。そんなもんだ。

今頃彼女は元気に働いているかなぁ。そうだといいな、と心から思う。

言葉は発したほうが忘れてしまっても、言われたほうは忘れられない。あとからどんなに取り繕っても、自分から離れて飛んでいった言葉をどうすることもできない。後悔しても消せない。
感情に飲み込まれ制御不可になった舌が勝手に動いて言葉を発する。あとから責任のとりようがないってこと、知らなくちゃいけない。今までいっぱい失敗してきた。
あなたもそうでしょう?

不本意な言葉の矢が刺さっても、我慢ではなく、流してしまえるような人でいたい。小骨なんて残さない大人になりたい。(もう十分大人ですけど)
人の幸せを願うことが自分の幸せにつながるっていうこと、使い古された言いようだけど、これは本当にそうだなとかなりの手応えで実感するなな年目の不惑の秋。
言葉のコウカイ、そこかしこに愛の海。そんなことを思いつつ。

おやすみなさい。



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::今宵良い酔。
子供たちもだいぶ大きくなりまして、私の自分の時間もだいぶ持てるようになりました。

自由になりたいなぁと子供が小さい頃よく思っていて。
でももっと子供産みたいなぁとも思っていて、自由になりたいのか不自由になりたいのかわからなくて。
自由にしていいよって言われたとき、たいして嬉しくなくて、どんだけ日常を愛していたかを知りました。
そして人に言われてなるものでもないなと。当たり前のことなのに!

心に気がかりがあるとしたら、どんなに好き勝手していてもそれは自由ではない。
さよなら重力!ってなる日はくるんだろうかとやってきたけれど、最近ふと思うのです。
体の中で心の中でバランスが取れているとき、なんだかとても開放感がある。
だれに縛られるわけでもなく、自分で決めて自分が開放できるんだなぁってこと。

旅に出たいとずっと思っていて。
だがしかし、です。
私にとって旅はどこかへ旅行にいくことではなくて、一人心ゆくまであらゆることを味わうことなんではないか。
「味わいにいくこと」、それが旅なんじゃないかと。
渇望していたのはそこなんじゃないだろうかと。あ、これは今さっき気づいたことなんですけど。

そして、それができたときに自由だなぁと思うわけです。

音楽に没頭して、自然に体が動いて、下からむくむくとエネルギーが登ってきて脳天にひょーーーーんと抜ける感覚。
気持ちがいいしすんごく生きてるってかんじる。なんで体が勝手に動くんだろう。生の音ってすごい威力なんだな。
誰にも止められないし止めようとする人もいない。

話はぜんぜん違うけど、わたしはオットの両親と自分の家族との6人で暮らしています。
家に一人ぼっちになることがほぼない。一人になりたい。そう思うよね、普通に。
だれに文句言われるわけではないけれど、好き勝手にトップレスで一日過ごすとか、できないじゃない(いや、しないけど)。
そんな不自由さを感じていたんです。ずっと。ずっと。
やることだっていっぱいで、食べたり食べさせたり、悩んだり謝ったり、洗ったり干したり、PTAしたりトラぶったり。
めんどくさい雑用やクレーム処理もしたりなんだり。
どれか一つやらなかったところで、誰かにヘトヘトになるまで追い込まれることも罵倒されるわけでもないのに。
やらなきゃいけないって自分で決めてしまってる。

だけど踊ってるとそんなこと関係なくなって、あーわたしはどこに居ても誰と居てもなんもかわらない。
こうやって勝手に旅に出ればいいんだ。そう思える。
旅にでて味わい自由に踊る。いいじゃんいいじゃん、なんだか自然に笑いがこみ上げてくる。うふふ。

なんてことを思った夜。
ライブはいいよね。仕事のあと、銭湯に行くみたいにふらっと音に浸かりに行く。気持ちがいい。
ヨガもいいよね。自分に没頭して動いて感じてエネルギーに浸かる。気持ちがいい。
そして私にそれをさせてくれる周りの人々に感謝の気持ちを常に持ちつつ、たくさん気持ちよくご奉仕いたします。
受け入れて許して愛してくれてありがとう。私もありったけ、愛しています。

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今夜、国立地球屋にて。
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::自由に縛られるか、不自由さに満たされるのか。
痛みによって身体に制限がかかると、
今まで気づかなかったことに気づく。
身体の癖やもっとも重要なことはなんなのかと。
今ある括りの中で自由になる。
不自由が教えてくれた自由だ!
(練習しながら気づいたこと)

++
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今日の産後ヨガ会場。
なんと優雅な。庭園つき。
いまから数分後、ここにずらっと、ご縁があった産後の皆さんがならぶ。
チビちゃんたちが遊ぶ。
私が産後だったあの頃、一人産んでボロボロの顔と頭でぼんやりと
二人目が欲しいと思った。
自分で理解ができなかった。なんでだろう。
私は自由になりたいのか不自由になりたいのか、わからなかった。

生活環境ではないのだ。
身体の可動域でもないのだ。
全ては自分の中にある。自分の制限された器の中にある。
逆に言えば外にはない。
自由も不自由も、自分次第だと知ったあの日。

「痛み」が教えてくれたことと共に掘り起こされた記憶。

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::手応えと種まき
ここ1年で、障害者支援関係のフィールドでヨガをお伝えするというお仕事が増えた。
障害者の方に接しているスタッフの方や、支援のお仕事をされている方、また彼らの家族の方達へ。
私自身、支援関係にはお恥ずかしいけれど不勉強で、どんな活動がありどんな施設があるのか、またどんな活動が望まれているのか・・・など最近になってやっと少し見えてきたところ。
もちろん、知らないことは適当に口にしない。その場で見えた最善を自分のもっているスキルのみでお伝えする。
こんなとき、師の言葉を思い出し、自分は未熟で不完全な存在なんだと、受け入れる。

なぜだかわからないけど導かれるままにお仕事を受けてきたけれど、貴重な体験やたくさんの思いに触れることができて心から感謝している。

今日は隣町の高校にお呼ばれして講座をやらせていただいた。
雨の中出かける前に「今日は台風だし、あまり人がこないかもなー」とつぶやいたら、オットが「来てくれた人に種が蒔けたらいいじゃない。いつもどおり、いってらっしゃい!」と言ってくれた。
結果、30人も集まっていただいて、最後に「ヨガがいままであまり好きじゃなかったのに、今日で好きになりました!」と言っていただいたのも嬉しかった。
種が撒けたかな。ささやかな種が。

この仕事にはいつも喜びがあって、反対に自分が不甲斐ないばかりに後悔の気持ちを抱くこともあって、
一喜一憂ではあるのだけれどやはり喜びのちからはすごい。
きっと何か意味がある。そして不思議と何かしらいつも驚くようなご縁があったり出会いがあったり。
生かされているなぁとしみじみ思う。

 
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::インスタントではない一滴
今日はおそらくはじめての仕事ダブルブッキングにつき、大忙しだった。
なんとか折り合いつけて、午前中にヨガクラス、トレパンから制服に着替えてお昼抜きで午後は劇場でお仕事。
お腹空かせてしょぼしょぼと帰宅し、ポストを覗いたら大きな封筒が入っていた。
中を開けると・・・
あー、何年ぶりだろう、Paseoなんて手に取るの。
差出人は20年来の友人で、「一読を!」とのメッセージと共にフラメンコ情報誌が同封されていた。
記事が載ってるのかな?と何気なくめくってみると、彼のインタビュー記事が目に飛び込んだ。

「死ぬまで宿題抱えて生きるのって素晴らしいこと!退屈している暇なんかないからね。解決しない宿題は人生の宝。」
のくだりに目が吸い寄せられ・・・やられた!と唸る。

「コップに一滴一滴水がたまって、やがて自然にそれが溢れ出してくるような環境っていうのがいいものが生まれてくる条件」
というの言葉も印象に残り、しばし考える。

時間をかけて積み上げてゆく、時期が来たら溢れ出る。機が熟す。
その繰り返しで連綿と続いてゆく道を歩むことがどれほど根気のいることかと思うけれど、同時に果てしなく幸せなことだなとも思う。

めったに会うことはないけれど、日本のどこかで世界のどこかで、熱い熱をもって走り続ける人がいる。あたしはここにいる。
あたしはここで、バタバタと走り続ける。
今日の一日も、わたしのコップの一滴なんだ。インスタントではない積み重ねの日々なのだ。
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::万年思春期
先週、思いがけずぽっかりと午後の予定が空いてしまった日があった。
さぁ、どうしようかな。

何も考えず、心にふっと浮かんだ顔(二つ)に連絡をいれた。
ダメもとだ。急すぎるし、浮かんだ顔達はこんな私の気まぐれにも時間が許せばつきあってくれるはず。ダメならさらりと、「またこんどね」と言うはず。
ひとりは仕事だった。もうひとりは、仕事の空き時間だけどと喜んで付き合ってくれた。よし、釣れた(笑)

もともと会う理由があったわけではないのだ。(理由がないのに会いたくなる、これは性別関係なく愛よね。)
だから他愛もないこと、毎度おなじみのこと、おたがいの心の在処の分け合い、最近笑ったこと泣いたこと、そして怒りに震えたこと、そんなことを「あと何分あるね!」と時計を気にしつついっぱい話をした。

本当に他愛もないことだった。
「なんで子供の合唱は泣けるんだろうね。18歳までは泣けるね。大人の合唱と何が違うんだろうね。」
「あの曲最高だね!」
「なんでカンに障るんだろうね。あの薄っぺらな物言いにイラっとしちゃうんだね。そんな人こそ真の教えが必要なのかもね。」
「しかし、ヨガって寛容だよね・・・・。」
「男子ってバカで愛しいよねー」
などなど、会うたびいつも時間を忘れるほど話しちらすけど、私たちはいったい何をそんなに分け合おうとしているんだろう。と不思議になる。

私は万年思春期だ。
いつも何かにドキドキしてワクワクして無駄に泣いて鼻水垂らしながら何かを追いかける。カッコ悪い。みっともない。スマートじゃないし、へんに熱い。そして青臭いし思考回路は案外かわいい・笑。何ども同じ壁にぶち当たり、回避できずに登ろうとする。
それは45になってもかわらない。

『霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
 悲嘆の氷にとざされるとき
 20歳だろうと人は老いる。
 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り
 80歳であろうと人は青春の中にいる。』


その日会った友人からこんな素敵な詩を送られた。
そっか、青春まっただ中なのだ。顔のシミもシワも増えたけど、私たちは青春の中なのだった。
その熱をなんとか分け合いたいと思ってしまう、その衝動なんだな。あの顔達にふと会いたくなってしまうのは。

いい春の日だった。
春になるといつも耳をかすめる曲があって、それはとても切ない曲で、美しいメロディで、じっと聞いているとうっかり電車を乗り過ごしてしまうほど酔いしれる。
「あぁぁぁ」とひとり電車の窓から見える桜をながめながら「名曲だわぁ」と感動し目に涙を浮かべる。なにこのおばさん。自分でつっこむ。
だけどこれが万年思春期の醍醐味だ。

お母さんでも嫁でも先生でも娘でもなくて、「私」がむき出しで泣いたり笑ったり喜んだり絶望したりするその刹那を、なんだかんだ愛しんでいる私は「自分と両想い」(byはらちゃん)なんだね。
そんなこと思った、おめでたい、春の日だったのだ。

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::むけむけ。
先日、とっても久しぶりにヨガ友のまきちゃんとあった。(私の友達にはまきさんがたくさん居るww)
彼女とはSHIZENヨガスタジオに通っていたときに知り合って、なんとなくひかれ合って今に至る。
ある日朝起きたらまきちゃんからメールが入っていて、「会いたい」とシンプルに誘われた。嬉しかった。
彼女が今どんなことを考えてどんな生活を送っているのか、たくさん話を聞きたいなって思った。

カフェスローで待ち合わせて久々の再会。
彼女は彼女のペースで淡々とヨガを続けていた。とても、質のよい練習を重ねていると思う。
たくさん、転機が訪れたといっていた。
私の方の日常は、たまにブログを覗いてくれて知っていてくれたんだけど、もうとっても力強い声で、
「もー、マキさん、剥け剥けじゃん!!」
って言ってくれた。

むけむけ。

私は大変この言葉が気に入った。

剥けましたよ、たしかに。
そのプロセスをちょっと言うと、

まず「違和感」からはじまる。違和感が生じて、それを考察し、あれこれ試みるんだ。
あーでもない、こーでもない、こーするとどう?あーするとどう?あ!!!!!!こんなところにヒントが!
とか、繰り返す。

そして、答えは足元にある。いつも。
そこに、自分の脱皮した皮が落ちている。


話は変わるけれど、府中にあったヨガスタジオ、バクティでともにインストラクターをしていた友達がいる。
顔を合わすこともない先生方も多い中、私のクラスの前と後のクラスを担当されていた二人と、私は仲良くしてもらった。
丁度、私がマスタースダカーのティーチャートレーニングを受ける前に聊か興奮気味に彼女達に話をしたところから始まり、コミナちゃんぴぃちゃんは揃ってディーサン・ヨガのWSに参加するに至った。
そしてそこからまた彼女達は悶々と日々迷い(体調を崩すほど!)、とうとう大阪まで行ってトレーニングを受けることに決めたそうだ。

運命は不思議だね!

先に書いたまきちゃんも、コミナちゃんも、ぴぃちゃんも、たぶん会った回数は両手あれば足りる。
でもそれぞれが、それぞれに影響を与えたり、悶々としたものを分かち合ったり、出口をさぐりあったりするのね。

でもって、やっぱり皆、それぞれの変化の始まりは「違和感」からなんだ。
「違和感があるからこそ、しっくりくるものがわかるってもんだよ。」
と言ってくれた人がいた。
「大事なものこそ、何度も何度も篩いにかけられるんじゃない?」
と話し合った人がいた。
「人って何度も死んで何度も生まれ変わるのよねー」
と確信をもって伝えてくれた友人がいた。

昨年の秋に師と呼べる人に出会ってから、私の中にたくさんの変化が起きて、違和感をたくさん抱えて今に至る。
そして“むけむけ”だ。

私達は何かを掴もうとしている。違和感をしっくり感に変えようとしている。

さぁ、今日も明日へ向かおう。剥けるために。




<レッスンの風景>

いつも、あとちょっと寝かせてあげたいな・・・と思ってしまう、あたたかいワンシーンです。
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::ありたい姿は。
なかなかどうして、大変な日々だ。

先日、こっそりコメントで私のツイッターでの呟きが好きだといってくださった方が居た。
なにがいいのかと聞いたらば、大胆な普通っぽさが、だといわれた。

そういえば、今年の初め頃だったか、わたしの、普通っぽさ、市井な風情にたいしてある人がこういった。

「マキさんの普通っぽさというのは、二回転半ひねりが効いたような堂々とした覚悟があって、それがまさに美しい姿勢なんだろうなあと感じます。つぶやきでも見せてくれる市井っぷりにいつもすごく力をいただいてるよ。」

これはとても嬉しい言葉だった。

俗っぽいわたし。泥っぽいわたし。日常しょってるわたし。呼吸したくて、笑いたくて、泣きたくて、偏っていて、だけど混在していて、カオスで、愛したくて、叫びたくて、踊りたくて、飛びたいわたし。

今月は、とつぜん婆さんが入院したり、長男が中学入って3度目の骨折をしたり、4重苦になっている諸々の役員の引継ぎやら仕事始めやらでてんてこ舞いだったり、とにかくもう泣きたかった。
漫画に逃げたり、黙々とヨガに没頭したり、妄想したり、一生懸命バランスをとろうとしていた。
もうひとふんばりだ。
そんなときに、先の友人の言葉を思い出してこちらもまた力をもらったりしていたところだ。

自分が特別でありたいと勘違いしていたのは何十年も遠い昔のこと。自己顕示欲の塊みたいだったあの日々を経て、
「どこにいてもどんな時も、ただありのままに在る。それ自体に意味があるから余計な意味付はいらない。ただそれだけ。」と思う今がある。

あなたがどこに咲いていようとも。それだけで。

その感覚をありありと感じたいがために私はあれこれ模索していたし、もちろんこれからもそれは続く。
こわいから意味をつけようとする、そんな日もあっていいし、ただ「咲いてんなー、あたし。」と思える日があればいい。

今日、はじめての町を歩いていて、とある団地の庭を眺めながら驚いたことがあった。
無造作にあるそれぞれの棟の、花壇。大きさもまちまちだし、咲いている花の種類は多種で住人が一人ひとつ思い思いの種を勝手にまいたのではないかと思うほどいろんな花が咲いていた。
ざっと数えて35種類ほど。

整ってないのにまとまりのある花壇。

あの清清しさはなんだろう。芝の匂いもしたし、臭いんだかいいにおいなんだかわからない菜の花の匂いもしたし、香りで訴えてくる花もあった。
じっとそれぞれを見ながら、これでいいんだなって漠然と思う。
そして、この雑然としているのにまとまりのある土地のありようが何かに似ている・・・とずっと思って帰ってきたのだが、さっきわかった。

うちの庭だ。

いや、母の庭だ。

ダンゴ食べながら「最近食欲ないのよねぇ」とかいう、婆さんの庭だ。

ありたい姿はやはり日常にあるのだ。

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::分かち合いたい春!
今月末からはじまるトレーニングに向けて、何かと便利だろうとはじめたフェイスブックにうっかり嵌っていたこの1週間でした。

はじめはネット上で顔を晒してまでコミュニケートする理由がよくわからなかったけど、
やっと面白さがわかってきました。まだ使い方はいまいちですが・・・

懐かしい面子と久々に連絡を取ることができたり、密かにご活躍の様子を見守ったり、
連絡しようしようと思いながらも遠のいていた人の近況を知って、またやり取りするようになったり。
まぁ、勝手に「知り合いだろ?」みたいな機能はありがた迷惑なときもありますが、大人なのでやりすごします。うん。

で、面白かったのが、20歳前後の甘酸っぱい時代を共にすごしていた面々との再コミュニケーション。
そこでひっぱりだされたかれこれ22年くらい前の、アー写。
あえて誰が誰なんて言いませんが、中央のオニギリみたいな頭で座ってるのが私です。
メンバーの一人が言っていた、「時はバブル全盛期なのに、まったくそのニオイがしない」ってほんとだよね。

大事な写真です。青春の足跡(笑)

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さて。
そんな感じでいつのまにやら新年度。
忙しい日々です。
学校の書類関係に、役員の引継ぎに、新しいスタジオのPRに、家のごたごた諸々の処理。
あちこちで取りこぼしていることがいっぱいですが、まぁなんとかなっていると信じよう・・・・
迷惑かけられてる私の周りのみなさん、ごめんね。

もうすぐ、ティーチャートレーニングが始まります。前半はびっちり終日×10日間。
ヨーガの歴代の聖人達へのお祈りから始まる・・・たぶん、私が生まれ変わるような、ゆかりさんの占いの言葉を借りるとすれば、“一つの目的を達成し、一つ次元の高い目的に向かって新しい道を歩き始めるようなタイミング”です。

今までにないほど深く敬虔な気持ちが今私の中にあります。
正しい入り口にやっと立てる、そこから一歩足を踏み入れることを許されたような神聖な気持ちです。

心して学んで、生徒さんたちにどんどんシェアしていきたい。
私が学ぶことをいつも自分のことのように喜んでくださる生徒さんがいるのですが、彼女の言葉をきくと、ほんとうに心から分かち合いたいと思います。

あー!武者震い!(笑)
心は着々と準備にかかっています。

なんだか、春だね!

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::アンテナたてて波に乗る。
人と人が出会うのはミラクルだ。
必然とよく言うけれど、そのタイミング、テンション、エネルギーのベクトル、いろいろが合わさって
人と結びつくとき、ほんとにそれはミラクルだと思うのだ。

私は素敵な友人を多く持っていること、彼ら彼女らがいつも私を救い上げてくれていること、
それらを感謝することを忘れる暇なく多くのものもらっていることに、やっぱり今日も感謝の思いにいっぱいになる。

「それらを自分が引き出しているとは思わないの?」

ちょっといじわるな質問をされた。謙遜なしに、答えてよって。

引き出しているとは思ってなくて、アンテナをびんびんに立てて少しの余白を作っておくことだけは心がけている。アンテナがスルーされまくってさび付いてしまう事だってある。
だけど私はアンテナを立てることをやめない。

そして、私も誰かのアンテナにひっかかりたい。
腑に落ちる種をまきたい。

++

先日、軽い中耳炎になってしまい、たった一つだけ聞えるほうの耳の聞こえが悪くなってしまった。
えもいわれぬ恐怖。
声がでなくなったときと同じ恐怖。あれを抱えて一晩だけ怯えた。

だけど、昨年から一年かけて向き合った恐怖だったので一晩すぎたら妙にすっきりとしていた。
どんなんでも私は大丈夫や。と、なぜか思った。(なぜ関西弁・・・)

すると多方面から、今の私に必要なエッセンスが飛び込んできた。

パズルのピースが飛び込んできた!
最後のワンピースはまだみつからなくとも、ピースはちゃんと手元にある!そう思える出来事が起きた。

++

丁度その頃、マタニティヨーガ協会の講習に出て、そこでも一つ、胸にズキュンと一撃をくらった。

大事なのは身体言語。

あぁ、私は耳とか声とかそういう一つ一つのことではなくて、もっと大きな身体がある。身体言語を使って私はいける。

たくさんの生徒さんと接して、十人十色の身体があって、日々悩み学ぶことばかりだけれど、そこで私が使えるのは身体言語なのだ。
そこでコミュニケーションをとればいいのだ。
そしてその先へ。

なんか幸せ。
耳はまだ痛いけど、いろいろ聞えずらいけど、なんか幸せ。

アンテナは立て続ける。折れたらまた立てる。そして波に乗る。
最近はまさにサーフィンをしているようだよ。

物事がいちいち、「あーここへ流れ着くためだったのか」と思うことばかりだよ。
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::ぜーんぶお父さんのおかげ。
今日は義父の83才の誕生日でした。
天ぷらが食べたいという元気な父のリクエストで、天ぷらを揚げて、
義母がお赤飯を炊きました。
美味しいワインと、子供たちが選んだケーキ。みんなでごちそうをたくさんいただいて、
母が用意したバラの花と一緒に写真をぱちり。
笑って、笑って、と言ってもなかなかうまく笑えない父でありましたが、最後にプホッと少し笑った瞬間を撮りました^^

母が乾杯のあとに、「ぜーんぶ、お父さんのおかげ。」と言った一言にジンとしました。
この気持ち、大事だなぁ。

そんな食事を9時までに終えて、まぁ、今は『バイオハザードⅢ』をテレビで観てるんですが、
息子が「監視カメラに写ったアリスが超能力を発揮するシーン、黒髪で黒目で眼力がすごくてあの表情もめっちゃカッコよかった!!!」としきりに言って興奮してます。「あー、目で倒すシーンもう一回観たい!」って(笑)激しく同感。(知らない方ごめんなさい)
昨日は次男に、「今夜の映画なんだっけ?」と聞いたらすかさず♪タタタッターン ターララーン♪とインディジョーンズのテーマ曲を歌ってくれました(笑)。
映画好きの親の元、小さな頃からたくさんの映画を一緒に見続けてきた子供たち、最近はツウな見方ができるようになって、話していても面白いです。

そして、晩餐の後に言うのもなんですが、、
私は明日からファスティング(所謂断食)を3日間だけやります。
前からやりたかったんだけど、なかなか「今」と思える時がなくて。で、やっとそう思うときがきました。
新月に向かう時期で、自分の体調やスケジュールを考えて決めたら、明日からということになったのですが、
石井ゆかりさんの占いに、しし座は「今週以降、貴方は自分の身体と五感をフルに動かして、実地で、いろいろな事を感得し、答えを出していくことになると思います。」とありました。相変わらず素敵なメタファー。

さて、断食スタートです。
私はミネラルファスティングといってミネラルや微量栄養素を豊富に含んだ酵素ドリンクと良質なお水をしっかり摂るファスティング法を実践します。
間にヨガ、もちろん仕事も普通通り。ヨガの時間を多くするようスケジュールを組みました。回復期は玄米クリームなどで徐々に戻していく予定。
楽しみです。

昨日、多文化交流サークルのヨガクラスに来てくれた友人のみさえちゃんも偶然一時食を減らして身体の調子を整えたいと思っていたとのことで、一緒に減食&ファスティングをやろうと意気投合しました。
3日間の感想をブログにも書いていこうと思います。

デトックス効果に惹かれて興味をもったのだけど、なんとなく今は漠然と、食に対する意識を改めること、感謝の気持ちを今一度持つことができたら嬉しいなと思っています。

「ぜーんぶ、お父さんのおかげ。」という母の言葉ももう一度噛み締めて、私の生きていく上でのバックボーンを作って行きたいな。
そんなふうに思った夜でした。

ところで、長男、バイオハザードⅢのクライマックスにて、「あー僕も念力ほしい・・」とか言ってます。
まぁ、わかるよ。うん。

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::不安は、いつもそこにあるのです。
アシュタンガのクラスにて。

深い呼吸を繰り返す。
自分の呼吸音とマットに落ちる汗のポタポタという音。
湿気が抜けていく感覚。デトックスしてるなーと。影響うけない身体ができたらいいのに。と考えちゃだめなのに考えてた。

その日の眠り。
ものすごい不安感がこみ上げて目が覚めた朝4時。よいヨガをしたあとは身体のどこかに潜んで蓋をしていた毒が出てくる。目が冴えてもう眠れず、押し寄せる不安感に悶々としていた。
心もデトックス!

あの不安感は・・・夜中に目が覚めて一人で抱えるにはちょっとしんどいかんじ。
具体的すぎて、だ。
でも、朝起きて、しばらくじっと座って隣に眠るオットの寝息をききながら、ふと思い出した
五木寛之センセイ著の「不安の力」にあった言葉。

“不安は、まず人間らしく生きようと思うこころの余裕から生まれてくる質の高い感覚だと思うのです。
不安を抱くことは、人間らしく生きていること”
“不安は、いつもそこにあるのです。人は不安とともに生まれ、不安を友として生きていく。不安を追いだすことはできない。不安は決してなくならない。”


はー。
半日がかり(睡眠中含む)でまた一つ私を動かす力が湧いた。だけどそれはどっちを向いているのか、
まだ動き出す前なので、わからない。

ヨガはたくさんのことを教えてくれる。
マットの上でも、マットの外でも。
「自分と繋がって~」とまるで「吸ってー吐いてー」と同じ調子にインストラクションする声を聞くことがあるけれど、耳で聞いただけじゃなかなか腑に落とすことは難しい。
吸ってー吐いてーを繰り返し繰り返し行い、どんどん自分の中のエネルギーが充満してポカンとしたその後に、自分と繋がるということがおきるんじゃないか。
そんなことを思った。

そして、私の場合、そんなときに「不安」の存在を思い出すようにみつめてしまうんだな。
いつもそこにあっても見ないように気づかないようにしていた、その存在に。


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::さよなら重力
あぁ、なんていう放置状態。
「せんせー、8月の予定おしえてくださいよー」と生徒さんに言われているしまつ。
なんでかなー。なんでだろー。
全然うごけない。

いや、誤解なきように。ちゃんとお仕事はしております。

今日なんてね、素晴らしいクラスだったよ。夏休みにも関わらず、集まってくれた皆、ありがとう。
台風や気圧、湿気に翻弄されて悩み多き身体をかかえたみんな。(私含む)
一緒にすこしだけ流せたね。
「流れた~♪キテヨカッター」そういう笑顔をいただけたとき、ほんとうに幸せな仕事だなぁと思う。

で、これは別として。

今、インプットもアウトプットも微量な感じなのです。
微量だけどバランスは取れてるのね。
しーんと自分の中が静かでね。
流れに乗れなかったら乗らないの。前に人が走っていようと、たとえ私が集団から遅れを取っていようと、
自分だけをみたらただ自分のペースで歩いている自分がいるだけだもんね。前も後ろも見えるけど目に映っているだけというかね。

物欲がまったくない。あと、所謂自己実現欲というの?「願い事は口に出していえば叶う!」とか、
「いまあなたは試されてるのよ!」なんてのはもうノーサンキュー。
ちょっと自分で意欲の無い、やる気の無い子だと勘違いしちゃった。
そうじゃないの。ちょっとものすごく今、自分の中がシンプルで、事足りている感じ。
でも、持っているものは豊かだからそれでいい・・・

うぅん、何を言っているかわからないですよね。自分でもこれはいったいどういう状態なんだろうかと様子を伺っているところなのでね。

ブログ(というか、私の文章)もつまんないな。なんて思っていたらかけなかった。
面白いことはいっぱいあるのに。

というか、いまのこの状態が非常に面白い。私的にとても面白いのです。
だからもうしばらく待って。(誰に言っているのか・・・)

ともかく今月中には予定を載せますね。次回31日は是政文化センターでラブフラ朝ヨガクラスがあるよ!
夏休み、お出かけ中の方が多いよね。ぽっかり都合がつく方はお顔みせにきてね♪

そうそう、関係ないけどね、先日夜に近所の友達から突然飲みに行こうと誘われたので、
夕飯を食べた後にのみに出かけました。
久しぶりにあった友人は私と同じ年の熟女のくせに、まーーーーーーーっくろに日焼けしてた(笑)
もうそれはそれは潔いかんじに。沖縄帰りだった。
アンチエイジングはやりだけどさ、こんだけ日焼けしてても彼女は若々しかったよ。たぶん手入れなんてたいしてしてないよ(笑)
こういう人は話をしていてもなんだか気持ちがいいですね。
自由な風が吹いていました。

というわけで、
おやすみ!

♪さよなら、重力。ぼくは自由だ~

と歌いながら、おやすみ!
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::キケンな人のがっつりした日常
先週もたいへん面白い一週間だった。

だけど真っ只中にいると、忙しくてちょっと嫌になる。
好きなことも、やらなくちゃいけないことも、気持ちがいいことも、寝不足なことも、美味しいことも、
しんどいことも、全部ひっくるめてめんどくさくなったりもする。

いちいちが悩ましい。

とにかく、金曜日が満月で、その前後にいろいろと面白かったきがする。

fullmoon.jpg

ある日。
次男Kと近所の映画館へ、【鋼の錬金術師 嘆きの丘ミロスの聖なる星】を観にいく。
私とKはハガレンの大ファンで、ふたりして作品が終わってしまったことを嘆いていた。「最終回なんてこなければいいのに・・・」と言いあっていたあの日。映画だけでもまた会えてよかったよ。

ある日。
ヨーガの練習で、先生の完璧な太陽礼拝を見て感銘をうけた。はじまりはいつも丹田から、っていう名言を体現してるひと。すばらしかった。

ある日。
真夜中の午前3時15分。
満月に呼ばれるように目が覚めて、何気なくツイートしたら、同時期に目が覚めていた友人あり。
翌日のラブフラヨガの生徒さんにも、同時刻に目が覚めたといわれてびっくり。

ある日。
この日は数ヶ月ぶりの生徒さんばかりがあつまったラブフラヨガ。皆さんが暑い中汗をたらしながら坂道を上ってやってきてくれた。坂の上から来たのは私だけ。なんだか申し訳ないような・・・暑い日だった。

ある日。
多文化ヨガ講座にて。タイ、中国、インド、台湾、そして日本。アジアンな女子達とのひと時。
じつはドキドキしていたけれど、同じアジア人。親しみの持てる面持ちで最高の笑顔に救われた。
かたことで、「キテヨカッタ」と伝えてもらって喜びに満たされた日。
伝える手段は言葉だけじゃないということに気づいたことをあらためて思い出させてもらったきもち。

ある日。
忙しい、大変だ、自分の時間がほしい!そう思いがちだけど、じつはめんどくさいこともやらなきゃいけないことも、不本意なことも雑用も全部ひっくるめて自分の時間なんだと気づかせてもらったひととき。

ある日。
「キケンなひと」と褒められた日。

「あなたの本質は相当キケンなひと。それを社会に繋がらせているのが家族であったり仕事であったりするんだね。」
あぁ、これって前にも他の誰かに言われたことだ。褒め言葉だと思ってるけど。

ある日。
うっかり自分のインドパンツと一緒に長男の体操着を洗ってしまった。
見事にラベンダー色に染まった体操着を片手に、彼に謝ろうとしたら、「いい色だね」って言った。誰に似たのだろう。その心の広さ。

ある日。
“成熟した大人の性を語り合う会”に参加。自分のセクシュアリティを見つめなおすとかなんとか。
とても興味深く面白く、楽しいひと時であった。
「産む現場」にいるプロの話も、隣の夜の生活話的な話も、妙な持論も、経験も、シェアするのは面白い。
でもやっぱり性ってつくづくパーソナルなものなんだなーという実感。
人のモノサシがこうも長さが違うものかと感心したような驚いたような時間であった。
とりあえず、私は寒いときより暑いときにするセックスがすき。

散々真面目にも軽口でも性のお話をした後、一人深大寺の獣道のような道を通って帰路についた。
そして、かえってからJGと息子二人と一緒にアイスを食べながらテレビをみて大笑いした。
私の日常はこれだ。
これが、愛しい日常だ。

今日はサッカーの試合で朝から炎天下で肌を焼く。子供の一生懸命をサポートした一日。
もうだめだ。ギブアップ。
裸で転がっている息子達の間で私も転がって寝よう。お肌の手入れなんて、今日はもうしない。
ねむくてしょうがない。

そして、明日は働いた後に、男だらけのバレエ団「トロカデロ・モンテカルロ・バレエ団」の公演をみるよ。
私は常に、感動してたいんだ。なんにでも。

では、おやすみ!




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::中間にいる人。
ヨーガインストラクターのジョイマキさんに会いました。

代講のお話をいただいたことで知り合ったのだけど、実際お会いしたのはこの日がはじめて。
同じ名前なのと、メールのやり取りの気の合い具合で、初めてお会いした感じがしなかったですね。
こういう出会いは久々で、とても気持ちが晴れやかになりました。

考え方や生き方がヨギ(ヨーガを実践している人)な人って、話していてとても楽。
ヨーガの現場にいたってそうじゃない人もいるし、ヨーガなんて知らないよっていう主婦たちの中にも、
頭が下がるほどのヨギな発想ができる人もいる。
私は「勉強してます」「研修受けました」なんてことじゃその人を量れない!
それが面白いなと常々おもっています。

私とジョイマキさんの共通の友人に、やはりインストラクターをやっているヒロさんという人が居ます。
最高の友人で、とにかくハイパーでスピリチュアルな人なんだけど、彼女の素敵なところは、私が心底彼女を尊敬しながらも表面ではそのスピリチュアルな話に茶々をいれるのを大きな笑いで受け止めてくれるところ。
私はそっちの話もわかるけど、もっともっと実態のある身体を信じたいというところがあるから、こんな懐の広いスピリチュアル人間であるヒロさんと仲良くできることがとっても嬉しいのです。

ヨガ的な、ニューエイジ的な、スピリチュアル的な・・・そんな世界と俗世に片足ずつつっこんで立っている、そんな立ち居地だと自分で思っているところがあります。
いや、ほんとに私は俗っぽいんだけどそれが私なのでそんなところを活かしたいななんて思っていた矢先に、
ジョイマキさんと出会って、彼女はいっぱつでそんな私を解ってくれたのです。

「中間にいる人」

って言い方をされてました。
それがとてもしっくりときて、すごく嬉しかったですね。
中間にいる人の役割って、とても大きいと思うから。そして、それが前回書いた日記の、自分の役割に繋がっていくような気がしてわくわくしました。

ヨーガの講義をしなくても、講師の生き方は生徒さんに伝わる。自分の言葉に噛み砕いて伝えるというのは、本来のヨーガを真摯に伝える人にとっては邪道でありえないことなのかもしれないけれど、
私の中ではそれもありなんじゃないかと、この出会いは教えてくれました。

そして、もっともっと深めていきたいと純粋に思うことができました。

「生き抜こう!」
先日、昔からの友人が大勢の前でそんな呼びかけをしました。すごく清清しかった。
心底、私も自分の持ち場でしっかり「生き抜こう」と思ったのでした。

いろんな方向から様々な力が働いて、私の糸が少しずつほどけてくる。こんな感覚を感受できるなんて、
やっぱりいろいろ学んだり実践したりしてきたお陰かなとも思います。ヨーガに教えられたことも、人に学んだことも含めて。

SWEET SOUL SOUP

以前つけていたニューズレターのタイトル。魂スープ。
なんでそんなへんてこな名前をつけたのか、自分が当時何を大切にしたいと思っていたのか、いまあらためて思い出し、反芻しています。

美味しいスープを作りたいんだわ。一生をかけて。俗っぽいこともスピリチュアルなことも楽しんで。
なんも変わっていなかった。
「心が満ちて人は意味を知る」そんな歌の歌詞がするっと頭の中に浮かんだよ。

では、みなさん、ユーモアを忘れずに、ともに生き抜きましょう!


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::さあ、扉をひらこう。
今日はこの2ヶ月間の自分の記録のような日記。
長い上に自己満足臭ただよってるのでさらさらっと見ていただければ幸い。
これは私がクリアーになる道程。

ただ、とても面白い「タッチフォーヘルス」のことにも触れているのでよろしければどうぞ。

++

neverletmego.jpg

 先月の震災の3週間後に、カズオ・イシグロの小説「Never Let Me Go 」を映画化した【私を離さないで】を観た。
なんとも言えない感情に揺り動かされしばらく感想を書くこともできなかったのだけど、
あの作品の中に見た主人公が淡々と「運命を受け入れる」姿に私は一番感銘を受けた。一番共感したというか。
主な3人の人間が共通して生まれながらにして持つ悲しいさだめに対して、それぞれがどのように向かっていくのかが描かれているのだけれど、作者がインタビューで、英国人からは「なぜ主人公は運命と闘おうとしないのか!」と何度も聞かれたけれど、日本人からは全くそういった意見はなく、国民性が出ていると思ったというようなことを言っていた。

「運命を受け入れる」のは、「闘わずして諦める」とは違う。

++

 私は震災の後、声帯炎のために声がまったく出ず、仕事もできず、日常生活を粛々と送っていた。静かに。
はじめは怖かった。耳が片方聞えない上に、声まででなくなってしまった。コミュニケーションツールがまた一つ無くなって、私はどうしたらいいのだろうという恐怖。
それくらい、全くうんともすんとも声がでなくなったことに愕然としていた。

 でも、よく自分を観察してみると、声が出ないことに対する恐怖はあるものの、どこかで心は静か。外側の揺れも内面の揺れも一緒に受け入れて揺れていたという感じ。
その時私は、慌てることはなかった。なんていったらいいのだろう。「感じない」のではなくて、心の中が「静か」なんだ。
「今私は恐怖を感じています」と思う、ただそれだけ。

今までわたしがしこしことやってきたこと、いらぬ悩みにもがきながら学びをつづけてきたこと、全てこのときのためだったのね。と思ったほどだ。
3週間くらい声はでなかったけれど、腹はすわった。

後日、ある人が、地震(自然)に同調したら心のざわめきはなく寧ろ穏やかだ。と言った。あぁ、そんな感じかもしれない。

この3月11日前後に私が経験した一切のことは、私を大きく変えてくれたし次の扉をあけてくれた。

今年の初め、「満を持してその人にはまた新たな扉が開かれるんだよ。知らない扉だからびっくりしちゃうかもしれないけど、もう十分内部は満たされているんだから大丈夫なんだよ。動揺するかもしれないけどすぐに自分の内部に溶け込むよ。」 と私に言った人があった。

その扉が、今はもう開かれたのかもしれない。

++
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 そして最後の仕上げに、どうしてもまだ長く話していると声がかすれてきてしまうことに違和感と恐怖心があるなと感じていたので、キネシオロジーを勉強中の友人にタッチフォーヘルスのセッションをお願いした。

心から信頼しているからこそ、カウンセリング含め身体を預けられるわけで、こういった施術者が身近に居ることにとても感謝している。
とても面白いセッションで、なんというか、その結果は目に見えるものもあれば見えないものもある。「感情」ではコントロールできることも「心」は正直に反応したり、「筋肉」はそれに従順であったり。
タッチフォーヘルスの効能については、こちらを読んでいただければなんとなく解ると思う。
私の身体(心か?)は頑固でそれがまた面白く、彼女にとって新たなケースだったみたい。
そしてこれだけさらけ出したにもかかわらず、私のことをますます好きになったといってもらった。天に昇ろうか。

家に帰ってから、さらに目に見えない効能が現れた!
セッション中、声が出なくなることによってどうして恐怖を感じるのか、という質問があって、私は「人に自分のことを伝えられなくなってしまうから」と答えたのだけど、
その後、声だけが人に伝えるツールじゃない。声じゃなくても伝わるものは伝わるんだと自然に知ることができた。
天から降ってきたように、私はそれを知った。

そして、声に対する恐怖心はもう無い。

もっとできる。わたしは、もっと、自分に寄り添ったやり方で伝えていくことができる。そう思った。

記念日のような一日だったと思う。
朝、石井ゆかりさんのメッセージを読んだらば、この日は獅子座の月。 「獅子座はキラキラしてる日。いろんな方角からおもしろいボールがくる。」とあったんだ。

おもしろいボールが飛んできたよ。全部受け止めたよ。大好きな人たちに会ったし、笑ったし、キラキラしてたよ。
翌日は仕事中もクリアな声が出て、話すのが楽しかった。


穏やかで、そう、今、私はクリアーです。

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::これもまた明日のために。楽しむんだ。
選挙の日。投票会場の上の広間で朝ヨガクラスを開催しました。

大人の私達が骨盤を立てて座る努力をしたり、なかなか身体の力が抜けなかったり、
時間をかけて頑張っているというのに、
小さいこの人たちの自然体具合といったら!!眩しいっす!!
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安定感と気持ちよさ、素晴らしいと思いませんか。すごいなー。うらやましい!

私は表に上ってこない意識の下に、どうやら「不安」「心配」「不信感」「怒り」・・そんなものをためていたようです。
クラスの前に、自主練してたんだけど、ヨガによってそういったものが浮き出てきたような感じでした。

友達の何人かは高円寺でのデモに参加していました。それぞれの思いを抱えて。

私はあえて今日は身近な親しい友人に話を聞いてもらう日にしました。
美味しいラーメンを食べて、食後の珈琲を飲みながらただひたすら話して意見を交わしあいました。

自分と違う見方、意見、思想、方法・・いちど咀嚼して尊重してと努力してきた。これからももちろん。でも時に意識下でぎゅっと呼吸困難になってしまうようなときは、同じ温度の意見を交し合って元気になる。そんな喜びに浸った日でした。ありがとう。

そして、帰宅後に参加された方からいただいた、頼もしいメッセージもご紹介しましょう。

これから起きるいろんなでっかい変化を、きちんと、サーフィンみたいに楽しんでやろうと思います。
そして変化の芽にぴぴっと気づける体にしておきたい。


そう、楽しむんだ。

+++

今日の夕方、突然の雨と雷がありましたね。
外で遊んでいるであろう子供達のことが気になりました。
すると、すぐに次男から携帯に電話がかかってきました。私は職場にいたのですが、すぐに電話にでました。

「ママ!大丈夫?!雨にぬれてない???」

って心配して電話をくれたのです。私は大丈夫だよといって、あなたは大丈夫だった?ときいたら、僕もおにいちゃんもびしょ濡れだよ。でも急いでシャワー浴びたから大丈夫!!って言いました。
胸が詰まって泣きそうでした。
今すぐ、抱きしめたくなった。

「雨に濡れる恐怖」、まさかそんな思いをいだく日がくるとは。
そして、子供なりに心配し、対処し、安心を得ていたことが頼もしかった。
めそめそしてらんないね。
次男は明日から自転車のかごに雨合羽を常備して遊びにいくそうです

いろんなことを学べるなぁ。考えることも対処することも選択することも、大人も子供も、たくさん学んでいるね。
明日はどんな自分がどんな思いをかかえているのか。楽しみです。

明日のボールエクササイズクラスの予習をしてから寝る事にします。生徒さんたちと、どんな話をしようかな!
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::仕切りなおし!
声帯炎で声がでなくなってしまってからあと2日で1ヶ月。
まだ少し掠れ声だ。

3.11からあと4日で1ヶ月。
今のこの状況は、変化のチャンス、思考するきっかけをいただいているんだと、私は思う。

何もできなくても、「知る」ことはできる。
だけど、惑わされて溺れて、その中から見極めて理解していく過程はしんどい。
知り続けることへの根気のなさが勝ってしまいいつのまにか考えなくなることのないように、
チューニングをあいまいにしてはいけない。受信を停止してもいけない。
間違った答えを出すこともあるし、考えを変えることもあるけれど、
知ることを放棄しなければ、すくなくとも「無関心」という穴に落っこちることはない。


あれこれ考え出していたら、このところちっとも文章がかけなくなってしまった。

素直に言葉が出てこなくなってしまった。

これじゃぁいかんね。

せっかく生徒さんや友人たちや身の周りの愛しい人たちからいただいた言葉や思いを胸の中に封印するところだったよ。
市川まで出張プライベートレッスンに行ったのよ。
友達と胸に響く良い映画を観てきたのよ。
チャリティーヨーガの素敵な感想もいただいているのよ。
震災後不安定でいる生徒さんとお茶をしながら話をしたのよ。

いろいろ、あったのに。頭がパンパンになってたね。

これじゃぁいかん。
仕切りなおしだ!

我が家の男どもはそんな意味ではとてもいい感じで「今」を生きている。
弾けるように外に飛び出して遊びに行くし、部活に全力投球でへろへろになってるし、新学期のクラス替えにそわそわしてる。
オットは、震災後すぐに夜行バスで仙台のお店を訪ねたり、休み無く淡々と仕事を進めている。
ちょっと見習って、ぽっかーんと、いつもどおりのことをこつこつやってみることにしよう。
やりながら考えよう。

“今、ココ”がこれほど大事なキーワードになるとは思わなかったよ。


H.jpg
友達と見上げた明治神宮の椿。あんな高いところに咲いてるよ。遅咲きのくせに、かわいいな。





★拍手お返事

=li・・さん
そうですねぇ、では遠征でこちらへお越しの際には是非ご一緒にヨガりましょう
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