日常をこよなく愛するヨーガ愛好家、MAKIのBLOGへようこそ。

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マタニティ&産後ヨーガ IN 府中

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::喉もとすぎた言葉
若い頃の、自分の文章をよみかえして一番恥じ入るのは、まだ知らぬものに対してまで変なこだわりをもっていたということだ。

出産や育児に関することなんてまさにそうで、こだわりや理想に固められてしなやかさのかけらもない姿。
これは痛々しい。とても恥ずかしい。

今でも恥ずかしい面を晒してはいるだろうけど、少なくともこの目でみていないのにあれこれ言うのはよろしくないと思っている。
人の経験値だけはごまかせない。しょせん、自分が体験したことしか人は本当にわかることはできない。想像力を駆使しても、やはり未経験のことに関しては解りきる術がない。

語るなといっているのではなく、未経験のことでもそれなりに思いやりをもって語ればいいはず。
それができなかった頃の恥。わすれてもいけない気がする。
+++

SANGO NO SONOGOクラスの生徒さんにYさんという方が居る。
Yさんのお子さんとうちの次男Kは同じ学校に通っているので私たちは同じ学校の保護者同士でもある。

去年の春、うちの次男坊がYさんのお子さんとちょっとしたトラブルを起こした。
うちの子が悪かった。彼女はそのことを私に言うためにすごくエネルギーをつかって、
それでもきちんと話をしてくれたから、わたしは息子を正すことができたし、担任の先生に話を聞くこともできた。

先日、ボールエクササイズのクラスのあとに彼女に話があると声をかけられた。
詳しい話は割愛するが、最近息子さんがお友達とトラブルを起こしてしまった、という話だった。

彼女はこの日、私にこういった。
「あの時は自分の子のことを心配するあまり、先生(私のこと)を問い詰めるようなことを言ってしまって本当にわるかったなって。今回自分の子がやってしまった側になってはじめて親の気持ちがわかったの。ごめんなさい。」
って。

心底びっくりした。なんと柔軟な人なんだ。もちろん彼女はちっとも悪くないし、私はあやまってもらうようなことは何もされていない。
だけど、彼女は自分が経験してみたら過去の自分の物言いが不適切だったと判断して、私に「ごめんなさい」なんて言ったのだ。

一人目育児で何もかも手探りであるという彼女。しかし、こうして自分の行動を喉もとすぎても忘れず、きちんと心に留めている姿はおおいに見習う面だと思うのだ。
「喉もとすぎると忘れる」のは私の美点でもあり汚点でもある。反省。

今日、保護者会で彼女にあった。
先日のストレッチのあとの筋肉痛がすごかったと笑っていた。
「先生が胸を開いて空間をひろげると、ずっと人は綺麗になるっていってたでしょ?だからこれからがすごく楽しみ!!」とも言っていた。
私がそれこそ一年前ぐらいにクラスでポロッと言った言葉だった。

こんな女性たちの前に立つんだから、フンドシ締めなおさないとだめじゃん!
と気合が入った清々しい冬の日。
子供たちは元気に校庭を走り回っていた。
一年前のことをあれこれ話してる母ちゃんたちのことなんてほっといて、すくすくと大きく、たくさんのことを経験していってね。

大人もまだまだ日々成長してるのよ。


霜柱


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::3日間のロマン日記
友人と話をしていた。
彼女の物事の判断基準が“それにロマンを感じるか否か。”だというのだから呆れてしまう。
私もまさにそうだから、呆れて笑ってしまう。

これって、すごくわかりやすくてすごく素直ですごく大事なことなんだ。

+++

そんな私が書く、3日間の日記。

1月20日(火) 大寒
夕食の用意をしていたら、携帯にメール着信。
仙台の友人、ゆうこさんが無事出産した報告だった。
猛烈に瑞々しく可愛い産まれたてで湯気がでていそうな赤ちゃんの写真が添付されていた。
命の素晴らしさ、私は彼女と彼女の家族からたくさん学んだ。
ほんとに嬉しい!万歳三唱なのだ。

その後、別の友人からメールが届き、読んでいたら彼女の旦那さんがオバマ氏と同級生だったという話を聞き仰け反る。世界って広いの?狭いの?


1月21日(水) 夕方から雨
先日久々に会った仕事仲間のさおりさんに誘われて、一緒にまゆみ先生のお芝居を観にいくことになった。
夜遅かったから躊躇してたんだけど、サクッと声をかけてくれるこの調子に乗りたいと思って、
それならどんげちゃんにも声をかけよう!と即連絡を取る。あっという間に3人で観にいくことになった。

ところがどっこい、当日、さおりさんのお子さんがインフルエンザになってしまいさおりさんは泣く泣く公演を見に行くこと断念。小さな子をもつ母達はあれやこれやと段取りをつけ、なんとか自分の時間を作る。しかし、それだって直前までどうなるかわからないものなのだ。
そんなのはお互い重々承知なので、残念な気持ちもここは何を優先するかの選択も、当然暗黙の了解で見守ることができる。
この夜には熱が下がったらしく、報告のメールに安堵した。

エドツワキデザインのいかしたフィットパンツをはいたどんげちゃんと待ち合わせて、ご飯を食べビールを飲み、冷たい雨など吹っ飛ぶ勢いで両国へいく。
舞台のまゆみ先生の動きはとても美しく、もっと、もっと観たいと思わせた。
あー!ムラムラするっ!!!(欲情しているのではない)なんていうか、表現すべき人がすぐそこで表現していることが嬉しくて、うわぁ、やられた!と思うような気持ちにムラムラした。
いや、何言ってんのかわからないだろうけど、とにかく行ってよかったということ。

芝居の解釈、ひとそれぞれだというけれど・・・私の中に残っていたちっぽけな知識の中から、罪と罰、ラスコーリニコフ、芥川の情報を呼び起こすも追いつかず。
油断したのは音響。
ライブには完全防備(耳栓)してのぞむのだけど、芝居ということで油断していた。かなりの音響効果にびびる。慌てて自前の耳栓をバックのなかから取り出した。


1月22日(木) 雨
今日も朝から冷たい雨。霧雨。
こんな日は生徒さんのキャンセルが多いのではないかと心配したが、新たに3組の母子が加わって欠席なし。調布、府中、稲城から集まってくれた女子たち。予定通りの人数で汗をかいた。ありがとう。そして、ようこそ。
午後はクリニックへ。
暗く寒い午後は患者さんがぐっと減る。ちょっと、暇。
常連の患者さんのなかでもぴか一にスタイルの良い女性が来院した。年は50近いと思うのだが、170センチ以上ありそうな長身にため息が出るほどの無駄のない身体。
きっとあれね、宝塚の男役だったね、このひと。まちがいない。そのくらい身のこなしもワンダフルなのだ。

そういえば、今朝、みんな大好きなシナモン&シュガートーストをテーブルに並べた。
さっそく口にいれた次男が即「か、からぁい!!!!!」と叫んだ。

あーいつかはやってしまうかもしれないなーと思っていたことをやってしまった。

シナモンじゃなくてガラムマサラだった。(どーん)

次男の口からは漫画のようにぼうぼうと炎が飛び出していた(ようにみえた)。
罰ゲームか!
ごめん。
だって、ビンが似てるんだもん。(似てないよっ!!との突っ込みをすでに友人からいただいております)
シナモン


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::ハワイの貴女へ
『ホノカアボーイ』が映画化。たのしみでしかたない。

HPがリニューアルされて、はじめに浮かび上がる文字にドキリ。
「ひとは誰かとであうために生きている。らしい」

一つ前の日記に載せた小説の後味、森絵都さんの「人と出会うということは・・・」の言葉の噛み砕き。
そんなのを味わっていたところだったので、あぁ、またか。と思う。

どうしても今の私のキーワードは「出会い」らしい。

+++

さて。
話し変わって、ハワイにお嫁にいった友人Aちゃんのことを書こうと思う。

Aちゃんと私は、大学で知り合った。
名前がふたりともAではじまっていたので、同じクラスだった私たちは一つの長机に二人並んで座った。
Aちゃんは美人だ。
知らぬ間にミスなんとかに選ばれたりしていた。
何をかくそう、私も初めて学校に登校したときすぐにAちゃんに目をつけていて(美人だから)、
その人が隣の席に座ったときには嬉しくて舞い上がっていた。

私たちはすぐに仲良くなった。性格はまるでちがった私たちだったけど、なにか惹かれあうものがあった。
学校内でべたべた一緒にいることはなく、それぞれ違う人とご飯をたべたり遊んだりしているか1人で過ごしているか、そんな感じだけど、放課後学校の外で待ち合わせして二人でご飯を食べに行ったり話し込んだりした。
(まるで「対岸の彼女」のナナコと葵みたいだ!)
初めてのスペイン旅行も彼女と旅立ったのだった。並んでいてもとても友達には見えないくらい服のセンスも何もかも違っていたのに。

再び進学した私と、外資系OLになったAちゃんはやっぱりまるでちがう生活を送る。
以来もう、ずぅーっと。そう、もう20年以上私たちは交わる部分がまるでないお互いの生活を生きている。今では住んでいる国すら違う。
なのに、なのに私たちは繋がってる。奇跡のようだとも、あたりまえのようなことだとも、思う。
私のことを「重要な人」と言ってくれた彼女はいつも私の知らない世界をさりげなく見せてくれた人だ。

Aちゃんはハワイの人と結婚していきなり思春期男児2人の母になった。
彼らは“新しいお母さん”っていうより“お父さんのお嫁さん”という感じでAちゃんを見ていて、すっごく懐いている様子。ちょっとしたやりとりを話に聞くとすごく楽しそうだった。
そして驚いたことに、Aちゃんの口から
「男の子って大きくなってもこんな調子よぅ~」とか、「お友達をゴロゴロ家に連れてくるとてんてこ舞いで!マキちゃんもそのうち大変になるよ~」なんて台詞が飛び出し、いっきに先輩お母さんになっていた。

あの日、ぎこちなく我が家の息子達を抱っこして、泣くとオロオロしていたAちゃんが、3段階くらいスキップして頼もしい“お母さん”になっていた。
彼らがいるから自身の出産は考えていないとのこと。
なんていうか、ほんとに喜びの形って人それぞれだと、彼女は教えてくれた。

昨日、Aちゃんから久々にメールが届いた。
彼女はこのブログをずっと読んでくれているので、私が日々何を思いどのように生きているか、よく知っている。
だけど私は知らない。彼女の日々は見えない。
メールが届いたその日、日本から彼女の家に遊びにきていたご両親が帰国したらしく、
空港へ送りに行って帰ってきたところだと書いてあった。
旦那様は本土に行っていて不在だったらしく、突然1人になったAちゃんはテーブルの前でひとりひっそりと泣いたそうだ。

久々に会った両親に「老い」を感じ、切なかったそうだ。
そして、これほど日本で嫁に行かなかった事を後悔した日はなかったと書いてあった。
そういって、私がオットの両親との同居を決意したことを「よかった」と喜んでくれた。

何キロも何キロも離れた地球の向こう側から、私の背中を押してくれる。

実質的な距離ではないく、一緒にいる時間でもない、本当の人との繋がりは私にたくさんの勇気をくれる。
なにかと比べることなんてできない、私だけの財産なのだ。

メールを読んで、実はわたしもPCのまえで泣いた。
私の選択した新たな生活を「おめでとう」と言ってくれた人は彼女がはじめてだった。
うれしくて、わぁわぁと泣いた。
そしてまだ鼻がつまったまま、感謝の気持ちでこの日記を書いている。
どうもありがとう。

私たちの未来が、絶対にこれでよかったのだと思える未来でありますように。もう、絶対に。


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::「対岸の彼女」角田光代

(2007/10)
角田 光代

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 専業主婦の小夜子は、大人と呼ばれる年になり、母と呼ばれる女性になっても、公園デビューで挫折したり、外との繋がりには相変わらず臆病で、高校時代と同じように女の集団のなかで上手くできない自分を嘆き、日々鬱々としていた。
社会に出ればなんとか道がひらけるのではないかと思っていた小夜子は、姑の嫌味や夫の無理解、保育園入園の困難を乗り越え、同じ年の独身女社長、葵の経営する企業で働き始めた。

 現在の二人の話の間に、もう一つ、葵の高校時代の話がからまって物語は進んでゆく。
いじめにあい横浜から群馬の田舎に逃げるように住いをうつし、そこでひっそりと目立たぬよう当たり障りがないように息をひそめて高校生活をおくる葵の前に、
奔放で明るくてどこにも属さないナナコという女の子があらわれ、二人は急速に仲良くなる。

専業主婦だった小夜子と女社長葵。
いじめられっこだった女子高生の葵といつも明るくどこにも属さないナナコ。

二つの時間軸で繰り広げられる女友達との濃く強い繋がり。それらが交互に織りあって物語りは深く「人との繋がり」について触れながら痛々しく、リアルに描かれていく。

最後はどうなるの?どうなっちゃうの?とドキドキしながら一気に読み進めた。
結末は切なくても、それでも一歩踏み出す主人公の姿をみて最後はちょっと明るい気持ちで涙を拭けるような気持ちにさせられた、そんな小説だ。


きっと、かつての女子も今の女子も共感する面がたくさんあるんではないかな。

 同じ女性でありながら、立場も環境も抱えているものもなにもかもが違う二人が、急速に関係を縮めていっても、どうしてもたちはだかる溝。そして、離れてしまってもそこからまた新たに違う関係が生まれてゆく。

独身の女、既婚の女、子持ちの女、有職主婦、専業主婦・・・
女を区別するのは女だとよく言われるけれど、「対岸」にいる相手とどう付き合ってゆくか。過去に自分と繋がった人達を思い出し、自分の体験も重ね合わせて読んで行くとなんとも切なくて涙がでる。

 救いがないけどそれが現実だと知らされる。だけど「大事なもの」の確認や「前に進む」力をしずかに与えてくれるような、すごく良い小説だった。
1年前に一度読んだときは感想を書くこともできないくらいその「読後感」に酔っていた。今回またこの本を手にしたとき、角が少しだけ折り曲がってる頁があるのに気がついた。
よくやる癖なのだ。
読みながら琴線に触れる言葉がある頁を折ってしまう。


高校生のナナコが葵に言ったセリフ。

“無視もスカート切りも、悪口も上履き隠しも、ほんと、ぜーんぜんこわくないの、そんなところにあたしの大切なものはないし”
という言葉。そんなナナコの言葉を葵は青い空を見上げながら聞いていた。

そして、大人になった葵は、「自分の子供になかなか友達ができない」(まるで昔の自分のようだ)と悩む小夜子に対してこう言うのだ。

“ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいても怖くないと思わせてくれる何かと出会うことのほうがうんと大事なきがする”と。

葵とナナコの関係はとても切ないものだったけれども、葵の中では今でもそれは決して消えない「大事なもの」だということが伺える。

最後に森絵都さんの解説も素晴らしかったので、そこから文章を引用して載せておく。

「人と出会うということは、自分の中にその人にしか埋められない鋳型を穿つようなことだと思っていた。人と出会えば出会うだけ、だから自分は穴だらけになっていくのだ、と。
けれどもその穴は、もしかしたら私の熱源であるかもしれない。時に仄かに発光し、時に初熱し、いつも内側から私をあたためてくれる有難い空洞なのかもしれない。」
【books】  コメント(4)   トラックバック(0)  △ page top


::「MADE IN 我が家」
なにが普通なのか。
我が家ではオッケーでもよそさまのお宅ではNGだったり、またその逆だったりと、
子供を通して「うちんち」「よそんち」の様々な物事の基準の違いを感じることは結構多い。
生活習慣ていうのもね、聞いてみるときっとびっくりするようなことがあるんじゃないかな。
その家で育った子はそれが「普通」として育つんだよね。

そう。生活習慣。
その家に住まう人達の生活の流れ。それぞれの癖なども加味されてできあがってゆく生活の泉。
その中で子供は育つ。それがあたりまえの毎日の中で。

息子とテレビを見ていたら、とある雑穀米のCMが流れた。
CMのストーリーは、お母さんが寝坊したかなんかで息子がひとり小学校へ行く支度を整え出かけようとすると、お母さんが「食べていきんしゃい」とかいって、おむすびを息子にさしだし、息子は笑顔で飯を食う。
お母さんは「ごめんね」とか言う。・・・みたいな話なんだけど。

長男Rがぼそっと「いいね、なんかこれ。」といい、
次男Kがぼそっと「ボクんちみたいだねー」といった。(前日記参照)

母さんが寝坊して息子が慌ててしたくして出かける。それが「いい」わけじゃあるまい。

だけど、朝ごはんは絶対たべていくのだぞ!と口うるさい母(私)、
過去にたった一度だけ朝ごはん抜きで息子を学校に行かせてしまったときうっすら泣いてしまった母(私)をみている息子は、
“結局はご飯食べて出かけてる”ところと、“たべていきんしゃいという母のセリフ”が「いい」と思ったらしい。

こうやってその家の日常の生活が子供たちの血肉になって刻まれてゆくんだなぁとぼんやりと思う。
そう思うと、
「私が育てた子供」じゃなくて、「うちで育った子供」。こっちのほうがしっくりくる。

+++

生まれて初めて胃カメラ検査をうけた。
前の晩、8時までに食事を済ませてくださいといわれていた。8時02分にドーナツを食べようとしたら次男にはげしく止められた。

K「だめだよっ!2分過ぎてるっ!」

私「だいじょうぶだってー。たった2分。これ食べたらもう食べないから!」

K「まったく・・・じゃ、半分だけね。」

私「はぁい。」

そして今日、綺麗に映し出された私の胃の写真を次男に見せようとしたら、
宿題をしていた次男は私に背中を向けたまま、

「“なんじゃこりゃ!ドーナツのかけらじゃないかっ!”ってお医者さんに言われなかった?」
とニヤニヤして言った。

「う、うん。大丈夫だった・・・」

なんでこんなお父さんみたいなの、この人。
こうやってヘボい母を持つ息子は8歳にしてちょっと味のある受け答えができる子に育ってる。

MADE IN 我が家 なのである。
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::ささやかな・・・
ちいさな、ちいさな今年の目標。

★流しに洗い物をためない。

という多くの人には当たり前のことができない私の小さな目標。年明けて9日、台所はまだキレイ。
常にすっきりぴっかりなシンクは気持ちがよい。(あーそんなこと皆さんご存知よね)

「使ったら洗う」をこまめにやっていけばいいってことはわかっているのだが。
私が挑む相手は“こまめ”である。


てことで、今年はあえて目標はこれっぽっちにしとこうと思ってたのに…。
今朝、もう一つ増えてしまった。

★夜は12時に寝る。


………

新学期早々大寝坊したぁぁぁぁぁぁ~(´Д⊂ヽ


うちは寝坊しても朝ごはんはちゃんと食べていくルールなので大慌てで支度して(私が)、大慌てで送り出した。
少年二人傘をさしつつ全速力で走って行った…。すまん。

こっそり自転車で追いかけて校門に入る彼らを遠くから見届けてきた。
こんなとこは勝手にあたしだけ過保護母さん。彼らには内緒。


あれ?そういえば、雪は??
今朝はすんごく冷たい雨が降ってた。


あれ?そういえば旦那さん…
ほっぽって子供たち追いかけちゃったわ。

家に戻ったら「お疲れ~」と歯ブラシくわえた彼がいった。「もっと早く寝なくちゃね」
「俺もだけど…(^_^;)」と。
てことでささやかな目標が一つ増えた朝。

ささやかすぎて泣けるぜ。

あぁん、今夜も小説の続きが読みたい~・・・


かえる2
(長男R・作・木)



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::ある時の覚書
あたし こんちわ!あたしです。
白黒写真が生まれた時代を物語ってます。
この翌年からカラー写真になってます。正月実家でアルバムをひらいて盛り上がってました。
写真の中で赤ん坊の私は、いろんな方に愛でられていました。

そして、息子らのアルバムもいい加減整理しないとなぁと反省しました。




あたしのある日ある時。

ある時。
クラスをしていたら参加してくれた赤ちゃんがずっとご機嫌で、しかも声をあげて可愛らしくわらったりしていたので、「きょうはご機嫌ねー」と言ったら赤ちゃんの母親ひとみさんは「この場の空気が気持ちがいいんですよ!」と言ってくれた。
先ほどもわざわざお礼のメールをいただいた。(ありがとー)

実はすごく今年の歩み方に関して悩んでいたのだけれど、生徒さんたちの声を聞くとがぜん気持ちが大きく沸く。
集客がままならなかったり、ビジネスセンスがなかったり、勉強不足を感じたりと自分が凹む要素はわんさか蔓延っているので、彼女たちの声はかなりのエネルギーを私に与えてくれるのだ。

***

ある時。
夕食後、仕事のあれこれを話しながらちょっと私の煮え切らなさを表にだしてしまったら、JGが言った。
「まずは拠点作りだね。」と。
仕事の中心地という意味もあり、心のありかという意味もあり。
その拠点で誠実に仕事に見合った技術をもっと学ぶこと、実践すること、還元してゆくこと。
そんな指南をくれたので、いっきに私の目の先が明るく照らされた思いであった。

***

ある時。
年上の友人が今年はじめてくれたメッセージに感激する。
それは、
「柳のようにしなやかでアレ」というものであった。
あたたかいその励ましの言葉に、思わぬお年玉をもらっちゃったような気分だった。

***

ある時。
今年一発目には【ブロークバックマウンテン】を観る。
ツタヤ内でふらふらしていたら「ダークナイト」コーナーが特設されていて、突如ヒースレジャーが観たくなって、借りた。

夜中の3時に胸がギシギシする。
感想はまた後日。語るにはちょっと時間がたりない。
また今度。

じゃ、おやすみ!




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::書く女
もうすっかり正月の日々が遠い彼方に消えています。皆様はいかがでしょうか。

5日から仕事が始まり、子供たちにもお弁当を作り、あっという間にいつもの時間。
彼らは今日から新学期がはじまりました。
が、さっき長男Rは「書初め」をしてました。
そばでJG(オット)が筆運びの指導をしてました。次男は去年市の書初めコンクールに出展されたし、長男もなかなかいい字を書いてます。JGはもちろん達筆です。私は字が美しい男が好きです。
家中でたぶん私が一番悪筆です。
まぁ、ちょっとした自慢です。すみません。

字は汚いが、文章を書くのが好きです。
20歳の頃の日記なんて、ちょっと「すげぇ!あたし!」みたいな文章がなぐり書いてあったりして自分でびっくりする。若い魂そのままぶつけた!みたいな文章は本当に恥ずかしくて瑞々しくてアホで真剣なのです。
あんなのはもう書けないけど、今の私の等身大の文章(もおそらくそうとう恥ずかしいものかもしれないけど)を今年もサクサクと綴っていけたらいいな、と思います。

PTAの広報誌の記事を書くみたいにあらゆる面に気を使ったりしなくていい自分の庭のようなこのブログは、うん、実はとても大切な場所だったりします。
そしてここをなぜか読みに訪れてくれる方々にもいつもありがたいなと思っています。

さて。
このブログのタイトルは「日常温感スイッチ」といいます。(いまさら)
「音感」じゃなくて「温感」ね。

ずっとずっと前に文章を書いていた時に、
『すごく冷めているところと熱いところが同居している人ですね。まるで火山のような方だ。』と、かなり好きな人に言われ、
ほめられたのだと勘違いして喜んだ勢いでその文章群のタイトルに「熱」という字を使ってました。

前にブログで「○○バトン」という質問バトンが大流行しましたね。その一つに相手のことをあれこれ書く類のバトンがいくつかあって、
(例えば「その人を漢字でたとえるとなんですか?」「あの人を四字熟語で言うなら?」「彼女を色でたとえると何色?」など)
私について答えてくれた方の答えの中にあった「感」という文字。そういえば昔私のことを「感の人」と言った人がいたなぁ。と思い出しました。
当時は何のことやらさっぱりわかりませんでしたけど(金八先生みたいに丁寧に説明してくれなかったんだよ)。

この「感」というのは時にはやっかいで、時には疎まれるけれども、大事にしたいものでもあります。

他人が見る自分と自分が思っている自分との溝がずいぶん縮まったように思うのは、いいことなのか、つまらないことなのか。

そして、毎度いっているけれど、ハレがあってケが愛しい。それらの切替も日々の大切な作業なわけです。
ゆるゆると過ぎる日常のなかで、温や感や情や触をごちゃまぜて豊かになりたい。
以前の「熱」じゃなくて「温」に変わって、しっくりとくる。
私だけが持っている、私だけのスイッチをカチカチ切り替えながら。

そんな意味でつけたタイトルが「日常温感スイッチ」なのです。

そして、よく聞かれるのが、「魂スープ」ってなんですか?ってやつですね。
これは、以前お仕事用のブログを書いていた時につけたタイトルなので、捨ててもよかったんですが、
なんとなくそのままここでもお仕事記事には「魂スープ」というカテゴリーをつけています。

最後に、魂スープってなんやねーん。ってことなんですけど、
はい。そのまんま、「魂」の「スープ」なのです。ごった煮なのです。SWEET SOUL SOUPなのです。
すでにまっさらではない、酸いも甘いも噛み砕いたうえで豊かになってゆく魂。まぁ、たまには灰汁もでることでしょう。たまに布でこすとコンソメスープのように
黄金に輝くこともあるのではないか。煮崩れた芋がはいってる芋汁でもいいよ。旨味のある人でありたいなという思いがあるんです。

やっと一年の展望がうっすらと見えてきました。
明記するのは後日になると思うけど、やっと、やっと今やるべきことが見えてきた。遅すぎるスタートですが、まぁ、見えてきてよかったです。

関係ないけど、さっき床にころがって眠ってしまった次男を起こし、ベットに連れて行っていたときに、彼が
「うゎ~。だめだ・・目が薄い。薄くなっちゃってるよ!眠すぎて!!」
と一言叫んでぱったりと眠ってしまいました。

目が薄い。

あははは。上手い上手い。よくわからないけど猛烈に眠いことだけは伝わってきました。
わたしもそんな風に言葉をつかって文章を書いていきたいなと思いました。

それではまた。
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::夜が明けて…
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皆様、あけましておめでとうございます。
沢山のメールや賀状をいただいてとても嬉しかったです。
しみじみと、昨年中に広がった様々な新しいご縁と昔から変わらず続くいつもの面々にあらためて感謝の気持を送ります。
今年もよろしく!

やらねばならぬ事が年を越してしまいすべて1日遅れ。
2日の朝にやっと(私的)初日の出を拝みました。
美しく暖かく力強い日の出で、息子とポットのチャイをすすりながら「なんか感動だ…」と言ってました。

夜明け前のドキドキする気持、昇ってきた太陽が否応なしに与えてくれるエネルギー。
久々に興奮しました。

今年もわたしの愛する人たちにきちんと「温度」が伝えられますように。
今年新たに出会うだろう人びとにも…
どうぞよろしくお願いします!

幸多き一年でありますように。

マキ
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