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::遠く旅して歩いた日々よ。
どう日常を生きているか、どんな人生を歩んできたか、そんな視点で
人をみる(というか味わう)ようになってきたなぁ。これが年を重ねてきたってことかなぁ。

などと思うこのごろ。
様々なご縁で、20代前半の若き方々との交流が増えた私は自分のその頃を、
思ったりすることも少なくない。

生きてきた道。つけてきた肉。

その昔、母が倒れて生死をさまよった。
父が倒れて父は障害者手帳を持つようになった。
長男が胎児仮死で緊急帝王切開で誕生した。
次男が自然分娩で産まれたが10日後に小児病院に緊急入院した。
私の片耳が聴こえなくなった。いろんなことを諦めた。諦め切れなかったことが残った。

うわぁ。なんか不幸。波乱万丈。
だけどそのときの全部が私の血肉になっていまがある。望んだわけじゃなく結果として。

些細なことだけれど、たとえば、先日ライブ会場で思った。
特性耳栓をして完全防備してまで音に身を晒すことを好んでしている。それも諦め切れなかったから残ったこと。
そんなものを持っていることは不幸なことか。

たとえば、今生業にしているこの仕事。バランスを崩さなければたどり着けなかった道。ここにたどり着いたことは不幸なことか。
大切な人の命を祈ったり思ったりする経験を多くすることは、それは不幸な体験なのだろうか。

今目が向いていること、今感じている自分自身、今この手を広げて存分に愛したいとおもっている気持ち、感謝しながら心を整える習慣、それらすべてはあれがあって得たものばかり。

おそらくその時々の“必死さ”が“行くべき方向”へ導いた。

はて。なにが不幸でなにが波乱?それこそ転ばなくては掴めなかったものばかりで構成されているような今の人生。
手放すことのほうが多かったとしても、だ。

今、誰かの命を思って闘っている人、自分のピンチに足を踏ん張っている人、何かを失った人。壊れてしまった人。
そしてこれからの自分にも言ってみる。

体力つけて、その先の、降り立つその地に思いを馳せよう。

ハレルヤ!
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セルフスイッチ  コメント(2)   トラックバック(0)  △ page top


<<prevhomenext>>
>手放すことのほうが多かったとしても、だ。

波乱万丈だったのね。

プアだったり、切羽詰っているほうが
案外そこぢからが発揮される気がします。
喪失感をあじわったひとは強い。
伊達に長生きしていないのだ。

潤っていることに気づかないのは自分だけ
だったりもするね。

あたしの方はじいさんばあさんとの交流が増えそう。
認知症のひとも。
それは思ったよりもずっと愉しそうです♪
2008.06.07 19:57 編集 △ page top
★どんげさん
>波乱万丈だったのね。
って、こうして書いてみるまでそんな風には思ってなかった。受け流すことができていたのかな。
確かにね、その度にちゃんと何かを掴んで先にあるいてた。
ゆるがない。
だけどやっぱり何もないに越したことはない。それは本当に。
ここまで与えないと気づかない業の深さがあったのかしらん。

潤いや柔らかさ、年の功と言えるものはいろいろあるよね。
ビバ年輪。

あっちの仕事では、わたしもじいさんばあさんとの接触が増えました。汗臭い青少年とも!
しかし、それらの交流が愉しそうというのはまたあなたらしく・・・いいですね。



2008.06.08 00:51 編集 △ page top
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