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マタニティ&産後ヨーガ IN 府中

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::ありたい姿は。
なかなかどうして、大変な日々だ。

先日、こっそりコメントで私のツイッターでの呟きが好きだといってくださった方が居た。
なにがいいのかと聞いたらば、大胆な普通っぽさが、だといわれた。

そういえば、今年の初め頃だったか、わたしの、普通っぽさ、市井な風情にたいしてある人がこういった。

「マキさんの普通っぽさというのは、二回転半ひねりが効いたような堂々とした覚悟があって、それがまさに美しい姿勢なんだろうなあと感じます。つぶやきでも見せてくれる市井っぷりにいつもすごく力をいただいてるよ。」

これはとても嬉しい言葉だった。

俗っぽいわたし。泥っぽいわたし。日常しょってるわたし。呼吸したくて、笑いたくて、泣きたくて、偏っていて、だけど混在していて、カオスで、愛したくて、叫びたくて、踊りたくて、飛びたいわたし。

今月は、とつぜん婆さんが入院したり、長男が中学入って3度目の骨折をしたり、4重苦になっている諸々の役員の引継ぎやら仕事始めやらでてんてこ舞いだったり、とにかくもう泣きたかった。
漫画に逃げたり、黙々とヨガに没頭したり、妄想したり、一生懸命バランスをとろうとしていた。
もうひとふんばりだ。
そんなときに、先の友人の言葉を思い出してこちらもまた力をもらったりしていたところだ。

自分が特別でありたいと勘違いしていたのは何十年も遠い昔のこと。自己顕示欲の塊みたいだったあの日々を経て、
「どこにいてもどんな時も、ただありのままに在る。それ自体に意味があるから余計な意味付はいらない。ただそれだけ。」と思う今がある。

あなたがどこに咲いていようとも。それだけで。

その感覚をありありと感じたいがために私はあれこれ模索していたし、もちろんこれからもそれは続く。
こわいから意味をつけようとする、そんな日もあっていいし、ただ「咲いてんなー、あたし。」と思える日があればいい。

今日、はじめての町を歩いていて、とある団地の庭を眺めながら驚いたことがあった。
無造作にあるそれぞれの棟の、花壇。大きさもまちまちだし、咲いている花の種類は多種で住人が一人ひとつ思い思いの種を勝手にまいたのではないかと思うほどいろんな花が咲いていた。
ざっと数えて35種類ほど。

整ってないのにまとまりのある花壇。

あの清清しさはなんだろう。芝の匂いもしたし、臭いんだかいいにおいなんだかわからない菜の花の匂いもしたし、香りで訴えてくる花もあった。
じっとそれぞれを見ながら、これでいいんだなって漠然と思う。
そして、この雑然としているのにまとまりのある土地のありようが何かに似ている・・・とずっと思って帰ってきたのだが、さっきわかった。

うちの庭だ。

いや、母の庭だ。

ダンゴ食べながら「最近食欲ないのよねぇ」とかいう、婆さんの庭だ。

ありたい姿はやはり日常にあるのだ。

庭s

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