先日「足」について書いたばかりだっていうのに、このタイトル(笑)
まぁ、おつきあいください。
+++
昭和の日。朝からワクワクしていた。待ちに待ったワークショップ。
ヨガ仲間のYOKOちゃんが誘ってくれた、オステオパシーをベースにした独自のteateセラピーをやっているおみ先生の「骨盤、背骨、、、歪みについて徹底解剖」講座。
テキストはこれ。
いやはや、素晴らしかった!!
まず、先生の人柄っていうか、にじみ出るものが気持ちよいのでもうそれだけでオッケー。
実は以前、おっしゃっていることはとても納得がいくのだけれど、どうしても受け入れにくい空気と身体をもった方に学んだことがあって、そのときにとても困った経験があるのだ。(おまけに施術もしていただいたんだけど、ちっとも身体が喜ばなかった〜って悲しいオチまであり。
)
あの違和感はもうこりごりなので、今回はその場の気持ちよさだけでも顔がにやけてしまうくらいだった。
そしてこの先生の素晴らしいところは、「別にその人が治ってくれれば(施術をするのが)僕じゃなくたって全然いいんですよ」と言っていたところ。
治すことや自分の術を守ることなどに執着がちっとも感じられないところが気持ちよく思う一因だと思う。
話それちゃった。
「痛い」→「いたわってあげる」 痛みがないと身体は壊れてしまう。
では、痛みとは?
※入ってきたものを常に受け流したいという身体の思い。だけど歪みがあって、流れが滞っている現実。
そのギャップが症状や痛みとなって表れます。受けとどめてしまったものを流し出す行為こそが、症状や痛みなのです。(おみ先生のお話より)
昔懐かしい、おなかが痛かったときにお母さんがおなかに手をあててそっとさすってくれたり、柱に頭ぶつけていたいときに、おばあちゃんが手のひらでスリスリしてくれたり、っていうそういう「手当て」が人の身体を治す・・・いや、その人自身の身体が治る手助けをする。
実はまだあれこれ疑問を投げつけたり、あーじゃないか、こーじゃないかと今日もまだメールでYOKOちゃんと考えをぶつけ合っていたのだけど、たぶん考えるようなことじゃないんじゃないかな。
子供が痛がってたらすっと手がでてさすってやるもんね。そういう日常の行為のメカニズムをさぐる必要はないんじゃないかなと。
そんな結論。
そして、いつも考えもせずやっていた行為が、実はとても意味のあることなんだって教えてくれた講座であり、自分の身体をとても愛おしく思える講座だった。
「受け流せる身体」「受け流せる心」そうありたいものがまた一つ、ふえた。
+++
明けて翌々日。
是政で<SANGO NO SONOGO>クラスを開催した(10名の参加者のみなさま、お疲れ様!)後、フットセラピストのおちょPさん宅にてリフレを受けた。
彼女の手が私の足に触れたときにすぐさま、「きもちのよい手の人だなぁ」と思った。
人って足のうらからいろんなもの出す(毒素とかさ)から、リフレをやる人はそれを受け流すことができないで全て受け止めてしまうと辛い職業だと思う。
なので、すぐさま「具合わるくなることないの?」と聞いてみた。
やっぱり施術後、使い物にならなくなってしまうことがあるらしい。
私でさえ、オットの足をマッサージしていると彼のその日の疲れ具合がわかる感じがするものね。
あ、また話がそれた。
とにかくね、この両日であらためて「手」って偉大だなって思ったのだ。
愛する人をいたわる手。愛する自分を治癒する手。
私の手は人のツボを探すのがすき。私の手は愛する人に触れて、その人のイイトコロを探すのがすき。喜んだり喜ばせたりするのがすき。
そういう行為に理由付けもメカニズム探求も必要ないね。
人の「手」って素晴らしい!!自分の両の掌をながめながらそんなことを思う夜更け。
+++
追記。昭和の日、このWSでヨガ仲間のYOKOちゃんとHIROさんに会い昼間っからヨガ話&セクシャリティトーク。
夜は近所の女友達と3人でレイトショーで「人のセックスを笑うな」を見て、そのあと居酒屋で煩悩&セクシャリティトーク。
もう、一日解剖学と精神世界とエロ三昧の休日だった!
(その間我が家の男三人は王将で餃子大会だったらしい。ありがとう。)
これはただの楽しかった日記にあらず。彼女たちに出会ってお互い高めあえる関係をもてたことに感謝しているっていうこと。
私は幸せです。
みなさん、よい連休を!
まぁ、おつきあいください。
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昭和の日。朝からワクワクしていた。待ちに待ったワークショップ。
ヨガ仲間のYOKOちゃんが誘ってくれた、オステオパシーをベースにした独自のteateセラピーをやっているおみ先生の「骨盤、背骨、、、歪みについて徹底解剖」講座。
テキストはこれ。
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いやはや、素晴らしかった!!
まず、先生の人柄っていうか、にじみ出るものが気持ちよいのでもうそれだけでオッケー。
実は以前、おっしゃっていることはとても納得がいくのだけれど、どうしても受け入れにくい空気と身体をもった方に学んだことがあって、そのときにとても困った経験があるのだ。(おまけに施術もしていただいたんだけど、ちっとも身体が喜ばなかった〜って悲しいオチまであり。
)あの違和感はもうこりごりなので、今回はその場の気持ちよさだけでも顔がにやけてしまうくらいだった。
そしてこの先生の素晴らしいところは、「別にその人が治ってくれれば(施術をするのが)僕じゃなくたって全然いいんですよ」と言っていたところ。
治すことや自分の術を守ることなどに執着がちっとも感じられないところが気持ちよく思う一因だと思う。
話それちゃった。
「痛い」→「いたわってあげる」 痛みがないと身体は壊れてしまう。
では、痛みとは?
※入ってきたものを常に受け流したいという身体の思い。だけど歪みがあって、流れが滞っている現実。
そのギャップが症状や痛みとなって表れます。受けとどめてしまったものを流し出す行為こそが、症状や痛みなのです。(おみ先生のお話より)
昔懐かしい、おなかが痛かったときにお母さんがおなかに手をあててそっとさすってくれたり、柱に頭ぶつけていたいときに、おばあちゃんが手のひらでスリスリしてくれたり、っていうそういう「手当て」が人の身体を治す・・・いや、その人自身の身体が治る手助けをする。
実はまだあれこれ疑問を投げつけたり、あーじゃないか、こーじゃないかと今日もまだメールでYOKOちゃんと考えをぶつけ合っていたのだけど、たぶん考えるようなことじゃないんじゃないかな。
子供が痛がってたらすっと手がでてさすってやるもんね。そういう日常の行為のメカニズムをさぐる必要はないんじゃないかなと。
そんな結論。
そして、いつも考えもせずやっていた行為が、実はとても意味のあることなんだって教えてくれた講座であり、自分の身体をとても愛おしく思える講座だった。
「受け流せる身体」「受け流せる心」そうありたいものがまた一つ、ふえた。
+++
明けて翌々日。
是政で<SANGO NO SONOGO>クラスを開催した(10名の参加者のみなさま、お疲れ様!)後、フットセラピストのおちょPさん宅にてリフレを受けた。
彼女の手が私の足に触れたときにすぐさま、「きもちのよい手の人だなぁ」と思った。
人って足のうらからいろんなもの出す(毒素とかさ)から、リフレをやる人はそれを受け流すことができないで全て受け止めてしまうと辛い職業だと思う。
なので、すぐさま「具合わるくなることないの?」と聞いてみた。
やっぱり施術後、使い物にならなくなってしまうことがあるらしい。
私でさえ、オットの足をマッサージしていると彼のその日の疲れ具合がわかる感じがするものね。
あ、また話がそれた。
とにかくね、この両日であらためて「手」って偉大だなって思ったのだ。
愛する人をいたわる手。愛する自分を治癒する手。
私の手は人のツボを探すのがすき。私の手は愛する人に触れて、その人のイイトコロを探すのがすき。喜んだり喜ばせたりするのがすき。
そういう行為に理由付けもメカニズム探求も必要ないね。
人の「手」って素晴らしい!!自分の両の掌をながめながらそんなことを思う夜更け。
+++
追記。昭和の日、このWSでヨガ仲間のYOKOちゃんとHIROさんに会い昼間っからヨガ話&セクシャリティトーク。
夜は近所の女友達と3人でレイトショーで「人のセックスを笑うな」を見て、そのあと居酒屋で煩悩&セクシャリティトーク。
もう、一日解剖学と精神世界とエロ三昧の休日だった!
(その間我が家の男三人は王将で餃子大会だったらしい。ありがとう。)
これはただの楽しかった日記にあらず。彼女たちに出会ってお互い高めあえる関係をもてたことに感謝しているっていうこと。
私は幸せです。
みなさん、よい連休を!




































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